もしドラはこう解釈しろ!


前々回の私の記事(→ http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20110808 )がGigazineなどで紹介されまして*1、相当数のPVがあり、そのせいもあってか、ついに私が理想とするコメントがもらえたのでそれを紹介するとともに、それに対して思うことをつらつらと書かせていただきます。

mind-master 2011/08/11 00:23

もしドラ』の該当箇所をもう一度読み直しましたけれど、なぜあのシーンが理解出来ないのか、店員が頭がおかしいと思うのかさっぱりわかりません。

主人公は、後で判明するように、野球をすることに関心はあっても、マネージャーになるなんて全く考えていなかった(あるいは意識的に、性差的な役割を受け入れることを拒んできた)少女です。

ですが、病床の友達のためにマネージャーになることを決意します。

そういう、嫌々ながら、しかし義務として仕事を始める人間が行ないがちな愚行の象徴として、まず「マネージャー」の定義を調べてマネージメントという言葉を仕入れる、という、頓珍漢なことを行うのです。

家にあった辞書で言葉の意味を調べた後に大型書店に行く……とすると、この日は休日で、私服だったのでしょう。

私服の10代後半の客から「マネージャー」や「マネージメント」について書かれた本を探している、と問われて、
「この少女は野球部のマネージャーをしているんだな」
と考える店員がいるでしょうか。

まず、野球部のマネージャーが、マネージメントなんて言葉は使いませんから。

店員は、女子大生が教養の授業で経営学について学んでいるのだろう、と考えて当然でしょう。

もっと詳しく尋ねろ? そんな悠長なことする店員なんていたら、うざいでしょ。客の質問と年格好で、相手が何を求めているのかをある程度、予想するのが店員です。

もっとも実際は勘違いでしたが、それは問題ではありません。

むしろ、高校野球界で通用する「マネージャー」という言葉と、それ以外の社会で通用する本来の意味との齟齬の産み出す面白さがこの小説のキモの部分なのに、それが理解出来ないというブログ主や上記にコメントしているバカな方々の方が、私には理解出来ないのですが。


mind-master氏の解釈は、実に模範的な解釈で、そして完璧な解答です。素晴らしい読解力だと言えるでしょう。そして、そのように読めれば最高に小説は楽しいでしょうね。(これは決して皮肉ではなく、本当に心からそう思います。) まさに、作者が望んでいる理想的な読者であり、これこそが作者が望んでいる理想的な解釈でしょう。


ただ、この解釈のうち、次の部分は私とは感性が違うと思うのです。

もっと詳しく尋ねろ? そんな悠長なことする店員なんていたら、うざいでしょ。


私はそうは思わないんです。もう少し丁寧に聞けば良いだけです。もう少し言葉を添えてやればいいだけです。


それが出来ていないからこの書店員の対応がおかしいように私には見えるのです。そして実際、この書店員は、結果的にも勘違いしていることがわかるわけです。だからこんな対応は客商売ではあってはならないし、この客の対応の仕方がよろしくないことの証明にもなっています。


もちろん、このディスコミュニケーションから生じるおかしさを楽しむことは私にはできます。


しかし、この書店員のそそっかしさ、客対応のまずさは糾弾されてしかるべきものがあり、川島みなみの質問の仕方が悪いという部分を差し引いたとしても、彼女が何故こんなまずい客対応をしてしまっているのか、それはやはり物語から読み取れないのです。


ご指摘の通り、川島みなみが私服だったので、大学生だと勘違いしたというのはあるかも知れませんが、致命的にまずい対応のように私の目には映るわけです。また、コミック版ではこの部分、川島みなみは高校の制服を着ているように描写されています。私服ではありません。mind-master氏は原作小説しか読まれていないのでしょうけど、コミック版の描写では川島みなみを大学生だと勘違いのしようもありません。ここは、おっしゃる通り、川島みなみは私服のほうが断然良かったと思います。


いずれにせよ、なぜ彼女がこんなまずい客対応しか出来ないのか、その理由がこの物語には示されていません。ですから、「彼女の対応が致命的にまずい」(しかも彼女はドラッカーの本を読んでいるのに顧客のことをどうしてもっと考えてやれないのか?)という感性を持つ読者として、彼女は「頭がおかしい」のか「頭が悪い」のだろうという烙印を押すしかないわけです。


そして、作者は、『「書店員がなぜその本を勧めたのか」が理解できないのは、「本の読み方の浅さ、拙さに起因するもの」』だと主張するわけですが、上のように彼女の客対応が致命的におかしいのだという視点で私は読んでいますから、やはり何故勧めたのかは理解できないわけですよ。「頭がおかしい」のか「頭が悪い」ので、早まっちまったんだろうとしか理由づけが出来ないわけです。一言で言えば彼女はドジっ子なわけです。


要するにこのような視点で読むとき、「書店員がなぜその本を勧めたのか」の理由として挙げられるのは、たったそれだけだと思うのです。たったそれだけの理由を、さも何かスペシャルな、そして何か合理的な理由が背景にあって、それがわからないのは読者が馬鹿だからだ、というような口調で書く作者の言説が許せないんです。


もちろん、作者は、そんなことを主張しているつもりはなくて、「彼女が大学で経営学を学んでいる学生であることぐらいイマジネーションを働かせればわかるだろう」と言いたいのだとは思いますが、そんなことは誰だってわかっていることであって、読者がわからないのはそこじゃないと思うんです。彼女が何故こんなまずい客対応をしているのかということがわからないんです。


そこ(彼女の行動)に十分な合理性があるように見えないから、読者はここに疑問符をつけているわけですよ。それが作者は理解できていないわけですよ。それで何がもしドラ流読書術なんじゃと。作者として、この部分、もっと合理性があるように見えるようにする努力をしろよと思うわけですよ。客商売なめてんのかと。


例えば、川島みなみが書店員と話すシーンで、川島みなみが私服を着ていたら私も「この店員は、頭がおかしい」とまでは言わなかったと思います。ここは、どう考えても私服にすべきでしたよ。なんで制服着てるんですか。小説版だけを読んでコミック版は読んでいない読者であるmind-master氏のほうがこの部分に関して作者よりはるかに高い問題意識を持っており、はるかに素晴らしい解釈をされているように思いました。


作者としては「これくらいの客対応は許される範疇だろう」と考えているのかも知れませんし、また、「ドラッカーの本は本当に素晴らしいから、間違って買ってもいいじゃないか」とぐらいに思っているのかも知れません。


だけどそうは思っていない読者にとっては、彼女の行動は理解しがたいですし、それを読者の読解力のせいにされましても…ということなのですが。まして、「俺の読書の仕方は大変素晴らしいのでお前たちに教えてやるのが俺の使命!」*2みたいに言われましても…。


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