もしドラの作者は思い込みが激しすぎるのではないか


もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)のことはいまさら説明するまでもない。累計250万部突破の大ベストセラーだ。


ところで、この小説の冒頭には、主人公の川島みなみが、(野球の)マネージャーのことを理解するために書店でマネージメントの本を探し、店員に薦められるままにドラッカーの『マネジメント〜基本と原則〜』を購入するというシーンがある。


正直言って、この店員は、頭おかしいと思う。もっと川島みなみの話を聞いてやるべきだと思うし、マイブームか何か知らないが、なぜ話もよく聞かずに女子高生にいきなりドラッカーを勧めるんだよ。それに川島みなみも、内容も確認せずに買うなよ。ありえん。どう考えても非現実的で、強引なストーリー展開だと言わざるを得ない。



もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら(1) (ジャンプコミックスデラックス)

それで、コミック版のもしドラ(→ もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら(1) (ジャンプコミックスデラックス) )では、そのへんが非常に丁寧でわかりやすく書きなおされている。


それ以外にも小説版では省略されていた部分がたくさん盛り込まれていて、小説版を読んだ人がこのコミック版を読めば、その舞台裏を覗き見るような楽しさがあると思う。コミック版のほうは、ストーリー展開は遅いが、非常に好感が持てる。


まあ、それはそれとして、もしドラの作者がコミック版に書いていた言葉が私は妙に気になったので長文ではあるが以下にそのまま引用する。

 例えば、主人公の川島みなみがドラッカーの『マネジメント』と出会う、この作品においては最も重要ともいえるシーンがあるのだが、そこで両者の出会いのきっかけを作る(みなみに『マネジメント』を勧める)書店員について、ぼくはその人物設定から背景、勧める理由までこと細かに考えていたにもかかわらず、小説の中では一切描かず、単にその事実のみを記すにとどめた。それは、もちろん紙幅の関係もあるのだが、それ以上に、そうした方が小説として面白くなるということが分かっていたからなのである。
 その通り、大胆に説明を省いたこのシークエンスは、『もしドラ』を象徴する何とも味わい深いシーンとなったのだけれど、ところが小説の発表後、そこで予想外のことが起こった。なんと、そのシーンを、面白い面白くない以前に、上手に理解できない人が、少数ではあるが現れたのである。そのシーンを、何度読んでも「書店員がなぜその本を勧めたのか」を想像できない人が、少なくはあるが一定数いるという事実が、読者からの反響を得る中で判明したのだ。
 これに、ぼくは驚かされた。彼らがそれを理解できなかったり、想像できなかったりする理由は、単に彼らの本の読み方の浅さ、拙さに起因するものなのだが、そういう人が少数ながらもいるということを、僕は初めて知ったのである。
 そうしてぼくは、これを由々しき問題であると受け取った。本を読むのが下手というのは、何よりその人たちにとって不利益である。非常にもったいない。あとちょっと上手くなれば、あるいは想像を働かすコツを覚えれば、彼らももっと面白くこのシーンを読むことができたはずなのに、それができないというのは、端的にいって可哀想である。


正直に言わせてもらうとコミック版でも「書店員がなぜその本を勧めたのか」は私にはわからない。コミック版を読めば、書店員が大学でドラッカーについて講義を受けていて、ドラッカーに傾倒していることはわかるし、いま夢中なのだなというのもわかる。


しかしこの書店員はドラッカーを読み始めたばかりの、言わばドラッカー初学者であって、熟読して内容をよく理解した上で勧めているのとはわけが違う。コミック版の描写を信じるなら、読んでいる途中でそのまま寝てしまい、次の日に川島みなみにこの本を勧めているので、最後まで読んですらいない。


ただし、この書店員がドラッカーの本を買った日のセリフに「今日は授業が早く終わっちゃって」と書いてあり、この書店員が寝て起きたあと、店長の「大学はもう夏休み?」に対して「はい」と答えているので、寝て次の日ではなくもしかしたら時間経過があるのかも知れない。この部分、描写がとてもわかりにくい。



ともかく、川島みなみはたまたまこの本を読破したが、最初の数ページだけ読んで投げ出すことだって十分考えられたはずだ。だから、この書店員がなぜこんな強引なセールスをしてしまったのか私には理解不能なのだ。この書店員が本当にドラッカーを理解していたなら、顧客(川島みなみ)の声にもっと耳を傾けたのではないのか。そういう意味でも、この書店員の行為は非常に残念なものだと言わざるを得ない。


それなのにもしドラの作者は、(小説版を読んで)「書店員がなぜその本を勧めたのか」が理解できないのは、「本の読み方の浅さ、拙さに起因するもの」だとおっしゃるわけである。それはいくらなんでも無茶苦茶である。小説版より詳しい描写がしてあるコミック版を読んでも「書店員がなぜその本を勧めたのか」は私にはさっぱり理解できない。


マーケティングのセンスのある子だから、ドラッカーの考え方に感銘を受けて、思わず勧めてしまったんだろうな」程度のことしか想像がつかない。少なくとも川島みなみに、たったあれだけの会話で書店員として勧めるべき本ではない。


このように、この書店員のことは理解できないし理解したいとも私は思わないが、もしドラの作者がなぜ上の引用部分のような発言をするかは多少なりとも理解できる。


もしドラの作者はきっとドラッカーを最高の教えだと信じている。絶対的なバイブルだと考えている。だから、この書店員がドラッカー初学者なくせに、押し付けがましくドラッカーの『マネジメント』を女子高生に販売したところで、それは許されるものだと思っている。(読者はそうは思っていない。) 女子高生が仮に数ページ読んだだけでこの本を投げ出してしまったとしてもこの本はとてもいい本だから書店員の行動は間違っていなかったと思っている。(読者はそうは思っていない。)


だからもしドラの作者的には、この書店員の行動が理解できないのは「本を読むのが下手」という結論になるのではなかろうか。


しかし、「ドラッカーがなんぼのもんじゃい」と思っている人は世の中に少なからずいるわけで(というか、この本は、そういう人にも勧めるべき本なんですよね?)、そういう人からすれば、この書店員の行為は間違いなく不条理である。この書店員のバックグラウンドを少しも明かさずに読者が勝手にイマジネーションを働かして好意的に読んでくれることを期待するのは、それこそ、(作者の)イマジネーションが欠如していると言わざるを得ない。


思うに、もしドラの作者は、いまのいまでも原作小説のほうで何故読者がこのシーンに疑問符をつけるのか理解できていないんじゃなかろうか。いまのいまでも本気で読者の理解力やイマジネーションが欠如しているせいだと思っているのではなかろうか。


もしそうだとしたら、端的にいって可哀想である。



■ 2011/08/10 18:10 追記


もしドラの作者のコラム 全文
http://anond.hatelabo.jp/20110810122334


非常に良いまとめだったのでぺたぺた。



■ 2011/08/14 5:00 追記


もしドラの作者からまさかの返信をいただけたので、それに対する感想みたいなもの。


もしドラの人にとっての炎上とは何なのか?
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20110813


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