初音ミクがうざ過ぎる


私は、初音ミクはある種の楽器だと思う。人間らしからぬ声が本当に耳障りだ。一言で言うなら、うざい。しかし、そこがいいんだが。



かつて小室哲哉坂本龍一との対談のなかで「ヴォーカルは、耳障りなほどいい」と言った。*1


それは圧倒的存在感があって、他とは決定的に違う、一度聴いたら忘れられないような、耳にこびりついて残るような声質が求められるのだという意味でだ。



それで、なんでこんな話をするか遡って話すと、私が以前、ゲーセンで『初音ミク -Project DIVA-』って音ゲーをやったら、全部初音ミクの曲で、曲を選ぼうにも、私にはどれも同じ曲に聴こえるわけですよ。曲セレクトするとサビの部分が流れてくるのだけど、どれも同じようにしか聴こえないんですよ。うわー、これはひどいと思ったんですよ。



劇作家のベルトルト・ブレヒトの言う「異化効果」は広く知られてると思うんですが、これは、日常においてあたりまえだと思っていたものにある手続きを施して、わざと違和感を起こさせて、観客に対象に対する新しい見方を提示する方法なんですね。


耳障りな(うざい)ヴォーカルはこの「異化効果」という観点からは優れた手法なのだけど、それは他のヴォーカルとの比較において「異化効果」があるということで、全部の曲が初音ミクで、そのサビだけから曲を選ぼうとすると、そこには「異化効果」は全く無く、ただ単に無機質で機械じみたヴォーカルだけがそこにあるんじゃないかと。



作曲家がピアノを使ってピアノ曲を作るとして、それはピアノで作る以上、平均律、そして12音階を使っていて、そしてたいていは、調性音楽で、ハ長調とかイ短調とか、まあ、典型的なスケールを用いて、そのなかで典型的なコード進行、たとえばIIm-V(ツーファイブ)を用いながら曲を作る。


じゃあ、IIIm-VIを使うとして、これは全音上の調におけるIIm-Vなのか、IIImは単にI(トニック)の代理なのか?を考える。スケールの第一候補として、前者ならドリアンスケールが使えるだろうし、後者ならフリジアンスケールを使おうかという話になる。あるいは、進行感が欲しいなら、前者を選ぶかも知れないし、そんなに進みたい感じにしたくないなら後者にするかも知れない。*2


さらには、IIm→V7→IIIm→VI7のようなありふれたコード進行であっても、「IIm-V」「IIIm→VI7」をツーファイブのひとかたまりずつとしてみなせば、ツーファイブの固まりが非機能的に上行する形で置かれてるだけでね?とも取れる。そうすると適用できるスケールがまた変わってくる。*3


これは、そのコード(コードシンボル)を何だとみなすかで使えるスケールが変わり、使える音が変わってくることを意味する。当然出来上がってくる音楽も全く変わる。作曲家としてのコードに対する認識や理解が、彼の産み出すサウンドに変化を与えるというのはとても興味深い。


このように曲をひとつ産み出すまでに、作曲家はいくつもの大きな選択をしている。楽器としてピアノを使うということ、そして12音階を採用するということ。そして、調性音楽ということ、そして調の決定、それから、コードを基本に自分のサウンドシステムを組み立てるということ、コード進行と、そのコードで使われるスケールを何らかの方法論に基づいて選ぶということ。


しかし彼がどれほど自分の作る音楽に深いこだわりを持っていたとしても、ピアノ曲が好きではない人にとっては、彼の作る音楽はこれっぽっちも良いとは思えない、ただのノイズに他ならない。


いま、この意味をはっきりさせるために、料理人について考えるといい。


料理人のなかでも菓子専門の人が居るとしよう。いわゆるパティシエなわけだ。そのパティシエのなかでもチョコレートケーキ専門の人が居る。彼はチョコレートケーキ以外は邪道と思っているから、チョコレートケーキしか作らない。チョコレートケーキのためのチョコレートを毎日吟味する。チョコレートの濃度、味、そして口当たり、舌触り、食感、食後の感触にいたるまで、さまざまな観点からこだわりを持って吟味する。


しかし、チョコレートが好きでない人にとっては彼の作るチョコレートケーキは全く食べられたもんじゃない。そしてまた、チョコレートケーキがいくら好きな人でも、たまにはそれ以外のケーキが食べたいと思うだろう。


要するに、そういうことなんだ。


音楽を作るっていうのは、あまたある選択肢からそれを選んで、いくつもの仮定を導入しながら、自分の用いるサウンドシステムを構築する。音楽領域のごく狭い分野のごく狭いところをがりがりと掘り進んでいるわけだ。チョコレートケーキ専門のパティシエのようにな。


不協和音だの協和音だの言っても、わからない人には「同じピアノの音じゃねぇか」ぐらいにしか思われない。でも自分の耳だけを頼りに、不協和音と協和音は決定的に違うものだと自分は信じているし(何を不協和音、協和音と捉えるかは作曲家ごとに異なるが)、そこをベースに構築した自分のサウンドシステムにすべてを託しているんだ。それが音楽を作るってことさ。


――なんてことをうざすぎる初音ミクの曲を聴きながら思ったんだけど。

*1:10数年前の『HEY!HEY!HEY!』だったと思うんだけど、違ったらごめん。

*2:あるいは、即興演奏の場ではいちいち考えてられないので全部ドリアンスケールにするかも知れない。

*3:これをcontiguous II-Vと呼ぶ。参考文献としてBarrie Nettleの『The Chord Scale Theory and Jazz Harmony』を挙げておく。国内のamazonでは取り扱いがないので、amazon.comのほうのリンクを→ http://www.amazon.com/dp/B000M7B65O/