ポピュラー和声が肌に合わない


私は音楽の歴史について詳しくないので、いつそうなったのかは知らないのだけど、ポピュラー和声では和音の転回形を特に区別しないことが多いじゃん?


あれって一体なんなの…。


例えばCの和音がある。これは、ド・ミ・ソ。ポピュラー和声だと、たいていの人が C = { ド・ミ・ソ } という集合として考える。


このとき、音の高さは関係ない。低い音から並べたときにド・ミ・ソと並んでいようが、ミ・ソ・ドと並んでいようが、ソ・ド・ミと並んでいようが、そんなことはおかまいなしだ。C on EとかC on Gとか書くこともあるけど、あんまり意識しない人のほうが多いよね?


なんかそこが馴染めない。ソ・ド・ミなんか全然ド・ミ・ソと違うじゃん。これ全然別の和音だよ。


いま簡便のため、ド・ミ・ソをC0、この第一転回形(ミ・ソ・ド)をC1、第二転回形(ソ・ド・ミ)をC2と書くとする。


C0は特に変哲もない明るい響きの和音だとしよう。であるなら、
C1はミとドの間に作られる増五度が気持ち悪いほどの強烈な自己主張をしている。俺は完全五度じゃねぇぜって。俺は完全五度よりこんなに高いところに浮かんでるんだぜって。
C2に至っては、狂気の沙汰だ。ソとドの間に作られた完全四度。その低いほうの音がベース(最低音)として配置されている。


古典和声を勉強した人ならたいてい知っているだろうけど、Walter Pistonの和声学*1では、ベースに作られる完全四度は不協和音程である。


不思議なことに、完全四度の下に音が配置され、例えば、C1のようになれば、この完全四度は不協和ではないというのが、Pistonに代表されるような古典和声の立場なのだ。


これはとても不思議な知覚現象だ。不協和と思っていた音程の下方に音を配置するだけで、その不協和感が解消されるというのだから。実際、ピアノでソ・ドを鳴らし、そのあと下方のミを押さえると、最初に存在した鋭い感じの音(音程)が包み込まれるようにして消え去る。意識にのぼらなくなる。まるで騙されているかのようだ。


これ最初に発見した人はどう思ったのだろう。興奮してその日の夜は眠れなかったのではないだろうか。


C0,C1,C2のなかでC2だけが不協和っぽい際立った和音であることはここまで読めばわかってもらえただろう。


不協和っぽいということは、Dominantに接続して直後にその不安定さを解消したい気になる。つまり、このときC2は機能的にはTonicではなく、Dominantの一部と言えるだろう。


Jazz理論の範疇で考えれば、ミはG0のテンションになっているのでミ→レという過程はテンションリゾルブだとも捉えられる。ドはG0のavoid noteだが、avoid noteも倚音であって、テンションリゾルブの考えかたが適用できなくはない。つまり、短い長さのC2は、G0にとっておまけであり、装飾であり、お刺身についてくるたんぽぽ(菊花?)なのだ。


実際、G0の直前に短い長さのC2(V0の直前に短い長さのI2)が挿入されている曲は枚挙いとまがない。これを、ポピュラー和声ではTonic→Dominantだとみなすのかと思うと愕然とする。


C2だけでなく、C1にしても、これはC0とは異質の和音だ。ミ・ソの部分がminorっぽい響きがするし、ミ・ドが増五度を形成している。圧倒的快楽だろ、これは。Em+5(Eマイナーで増五度)と表記しなおしてもいいぐらいだ。


そう考えるとナポリの和音が何故それほどまでに人を魅了してやまないのかが見えてくる。ナポリの和音というのは、ナポリ楽派が好んで使用した、ショパン夜想曲にもいっぱい出てくる、アレな。


ポピュラー和声の人に言わせると、きっと「あんなのただのIIだよ」って言われるんだろうけど、それはとんでもない。そんなこと言う奴はグーで殴っちゃる。


ナポリの和音がどうして第一転回形で用いられたのか。第一転回形だと(移動ドで表記すると)ファ・ラb・ド#になる。C1と同じ構造だ。これを短調の曲のSubdominant (IVm)の代わりに用いる。


もっとわかりやすく言うとファ・ラb・ドが来ると思わせておいて、ファ・ラb・ド#が来るわけだ。聴いている者はここで、あれあれ?と思うだろう。ドが来ると思っていたところに半音高い音であるド#が来るのでこの浮遊感が圧倒的に気持ちいいのだ。だからナポリの和音はSubdominantの代理とみなせるのだ。


この和音、第一転回形以外で使ったらとんでもない味消しだ。それナポリでもなんでもないし。


ときどき歌のうまい人が、カラオケでわざとサビの部分で半音高い音で歌うじゃん。それが曲にすごく合ってて、気持ちいいの。あれ、自然とナポリになってたりするのを発見して凄く興奮する。


ってなことを私は食事の合間とかに考えてるんだけど、「お値段以上ニトリ」ってCMが流れてくると私の頭のなかでは「お値段以上ナポリ」って再生されて、これ、本格的にノイローゼの症状なのかね…。

*1:ピストン和声学 (1956年) (作曲理論叢書) 日本語版は絶版で、現在入手困難。
原著 → Harmony