僕はゲームセンターで暗記することの重要性を学んだ

「僕はドルアーガで頭がおかしくなった」(→ http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20090108 )のようなおかしなゲーム人生をスタートさせた私は、中学1年のとき(25年ぐらい前)には全国スコアラーの仲間入りをしていた。


当時の私の一ヶ月のお小遣いは、2,000円であり、1ゲーム100円ならば20回。50円でも40回しかプレイできない。1日2プレイが限度だ。学校は16時ごろに下校して、そこから24時までゲーセンに入り浸りなので、時間は8時間近くある。当時のゲームは1プレイ10分ぐらいが普通だったから、乏しい軍資金に対して、時間が圧倒的に有り余っていた。


当時といまとでは100円の(個人的な)価値は全然違っていて、当時の100円は、いまの私にとって、3万円か5万円ぐらいの価値があった。それはもう大金だった。100円を入れてゲームを1回プレイすると私は緊張のあまり手が震えた。10分3万円、1時間18万円を賭した麻雀をやれば常人ならば緊張で手が震えて牌をつかめないだろう。それにも似た感覚だった。


しかし時間だけは余っているので、その余っている時間に私がすることと言えば他の人がゲームをプレイしているのを見て覚えることだった。他人のプレイを見てテクニックを盗み、敵の出現位置などを覚えることを「スパイ(spy)」を動詞化して「スパる」と仲間内では呼んでいた。


「他人のプレイを3回スパれば1回プレイしたに等しい」というのが仲間内での常識だった。他人のプレイ内容から少しでも多くのことを吸収するために、見ているゲームの敵の出現位置、マップ、敵を倒したときに入る得点、出現タイミングetc..をすべて覚えた。私にとってそれは「1回のスパりで何個の情報を覚えられるか」というゲームそのものとはまた違った"ゲーム"だった。


当時私がスパっていたゲーム、例えば、『バラデューク(1985 ナムコ)』ならば、全48ステージの敵の位置、マップを私はすべて暗記していて、どのステージでもいつでも方眼紙にマップを正確に書き起こすことが出来た。バラデュークに関しては、そのおかげもあってか、私はわずか数回目のプレイで1コインクリアを達成した。(そして全国ハイスコアの申請をしたが、その月には永久パターンが発覚したのでハイスコア申請は打ち切られており、掲載されなかった) 初めてクリアしたときには、緊張のあまり両手がガタガタ震えて指先の感覚が無かった。


例えば、『フェアリーランドストーリー(1985 タイトー)』は、月刊誌『Beep』に全101ステージの画面写真が掲載されたので、私は一度もプレイしたことがないのに全マップの形状と敵の出現位置をすべて暗記し、それをもとにゲーセンで攻略法をスパり続け、ついには初プレイにして1コインクリアを達成した。このときも、緊張のあまりゲームが終わってからも1時間ぐらい手の震えがとまらなかった。


そういったプレイスタイルだったせいで、少しでもたくさん覚えておかないと大金(100円や50円なのだが)を失うということを体感していたわけで、一度見たものを限りなく暗記しようという習慣がついた。そのため、私は一度見たものをすべて覚えるという能力が飛躍的に向上した。


いまにして思えば、私は学校や学校の勉強が嫌でゲーセンに逃げ込んだはずが、皮肉にも結果的にその逃げ込んだゲーセンで自分の能力開発をしていたことになる。そのおかげもあってか、学校の成績はクラスでつねに上位だった。


私に「ドルアーガ遊び」(→ http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20090108 )を教えてくれたH君は中学3年になると塾通いと受験勉強のために誰とも遊ばなくなった。彼のところに遊びに行っても彼は「いっそん(私の当時のあだ名)のように、頭が良くないから俺は勉強せなあかんのや。遊ばれへんのや」と言って私と遊ぶのを拒否した。私より彼のほうが学校の成績は良かったため、そのとき私は彼の発言は遊びに行くのを体よく断わるための方便なのだと思っていたが、その数年後に彼が「あのときのいっそんはほんまに俺にとって脅威やった。勉強せんと(勉強せずに)あの学力はありえへん」と私に告白した。そんな私は咄嗟に「ゲームや!ゲームをすれば賢くなるんや!」と彼に言った。


「ゲームや!ゲームをすれば賢くなるんや!」は、いまでも本気で私はそう考えている。
ただし、それにはゲームと自分がどう向き合うかというスタンスが一番重要なのは言うまでもないことだが…。