僕はカブトムシにクワガタと名付けた
私が物心がついたころ、ダイエーでカブトムシをおばあちゃんに買ってもらった。普通、カブトムシを飼うつもりなら、プラスチックケースやら腐葉土やら、止まり木、樹皮など諸々を一緒に購入すると思うのだが、おばあちゃんの予算オーバーだったらしく、買ってもらえたのはカブトムシの本体のみであった。
それを私とおばあちゃんはおもむろにナイロン袋に入れて持ち帰り、家に帰ると少し大きめの段ボールのなかに移した。
こんにちは、カブトムシ。しかしカブトムシの名前がカブトムシではいけないと思った。私はさっそくそのカブトムシに名前をつけてやることにした。
「ク ワ ガ タ」
それがこのカブトムシに私がつけた名前だった。本当は私はクワガタが欲しかったのだが、カブトムシに比べて桁違いに高いので買ってもらえなかったからだ。
困ったことにこのクワガタ君の餌は家になかった。おばあちゃんの助言をもとにキュウリやら砂糖水やらをあげたのだが、あまり食べる様子もなく、日に日にクワガタ君は衰弱していき、一週間後にはほとんど動かなくなった。いまにして思えば、このカブトムシは、もう生きるか死ぬかぎりぎりの状況だったのだろう。そんなことを知ってか知らずか、我が家では「クワガタ君は、最近よく寝てはる」と言うようになった。
クワガタ君の眠りは次第に長くなり、ついには、起きなくなった。クワガタ君は永い眠りについたのである。
「最近、クワガタ君、寝てばっかりやな」と私が言うと、おばあちゃんは「寝る子はよく育つって言うし、育ってはるんやで」と言った。いまにして思えば、「子供の夢を壊さないため」というよりは、「次のカブトムシをねだられてはたまらん」という思いがおばあちゃんにはあったのだろう。おばあちゃんは年金生活で、ほとんどお金を持っていなかったからだ。
そんなこんなで、クワガタ君は寝てばっかりのまま数ヶ月が過ぎ去り、ある日、クワガタ君は段ボールのなかから忽然と姿を消した。
「クワガタ君おらへん」と私が言うと、おばあちゃんは「クワガタ君は、もう家に帰りはったんちゃうか」と言った。
「クワガタ君の家ってどこ?ダイエーなん?」と聞くと「ダイエーに連れてこられる前に居たところや。そこがどこだか誰にもわからへん」とおばあちゃんは言った。
その日の夜、クワガタ君が「おーい僕はここにいるよ」と私の夢に出てきた。クワガタ君はとても近くにいた。「なんだそこに居たのか」と私は驚き、真夜中に目が覚めた。私はクワガタ君が家のどこかにいることを確信して、家族に気づかれないように家じゅう探してまわった。そして、無造作に置かれた生ゴミの袋の片隅にクワガタ君が居ることを発見した。「なんだ、やはりそこに居たのか」 この生ゴミの袋からクワガタ君は家に帰るのだと私は理解して、私はまた布団に潜った。
次の日、私はおばあちゃんに「クワガタ君、明日、家帰るゆうたはったで。それまでこの家に居させてってゆってたで」と言った。その「明日」というのは生ゴミの収集日だったからである。その意味に気づいたおばあちゃんはびっくりして腰を抜かし、私に恐ろしい霊感があると勘違いしたのか、はたまた生ゴミの袋に捨てたカブトムシの
もう祟りは懲り懲りだと思ったおばあちゃんは、それ以来、生き物を私に買い与えることは二度となく、その代わりに、なけなしの年金でコンピュータを買ってくれることになるのだった。(→「僕は機械語を5才のときに覚えた」: http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20081226 )