羅生門がわからない


最近、iPhone朗読少女 〜 Story Time Girl 〜(← クリックするとiTunesが開きます)と言うアプリがお気に入りだ。これは少女が小説を朗読してくれるアプリだ。この音声は、ゆっくりさんとかみたいな音声合成ではなく、声優さんが実際に朗読したものである。


また、起動させたときに毎日今日は何の日か教えてくれるので、私はとりあえず毎日1回は起動させている。ラブプラスにハマる人の気持ちがよくわかる。


それはそうと、この朗読少女のサンプルデータとして羅生門が途中まで入っている。(最後まで聞くには115円のアドオンを購入する必要がある) それで私は羅生門を読む(聞く)のは小学校以来なんだけど、やっぱりこの話はよくわからない。


有名な小説なのでたぶんあらすじは誰もが知ってると思うけど、大まかに書く。


(あらすじ)
天変地異が平安京を襲い、下人は解雇されたので途方に暮れて羅生門に来たら、老婆が女の死体から髪の毛をかつらにするために抜いていた。それを見て下人は怒りがこみ上げてきて、老婆から身ぐるみを剥いで
「では、おれが引きはぎをしようと恨むまいな、おれもそうしなければ、餓死をする体なのだ」
と言って闇に消えていく。


私が小学校のときの授業では、この下人は物語の最初のところでは、悪事をしようかどうか迷っている状態だと。つまり、わずかに悪の心が芽生えている。ところが、老婆の行為を見てそれに対する生理的な嫌悪感から老婆への怒りがこみ上げてきた。この時、下人の心は善なのだと。そして、老婆から身ぐるみを剥いで大きく悪の心になって終わる。その心の振幅の大きさこそがこの物語の要所なのだと。


この解釈だがいまこの物語を読み返してみても納得がいかない。下人が老婆から身ぐるみを剥いだのは、老婆が「せねば餓死をするので仕方がないのだ」と開き直ったことに腹を立てて、下人に正義の心が芽生え、そして老婆のことを何とか咎めてやろうと思い、老婆の論理を援用して、「なら俺も俺も」と老婆から身ぐるみを剥ぎ、そうすることによって老婆に老婆のしていることの愚かさを悟らせたかったんじゃないのか。有り体に言えば、相手と同じ手口を使って相手を懲らしめてやりたかったというか。決して身ぐるみを剥いだ時、この下人は悪に染まり自分が生きるために悪事を働こうと決心したわけではないように私は思うんだが。


そもそも羅生門の最後の一文「下人の行方は、誰も知らない」は、羅生門の初出ではここは「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」になっていた。ここを現在のように作者が変えたのは、作者が読者に下人の心が最終的に悪に傾いたとは読ませたくなかったからではないのか。悪に傾いたようにも読めるがそうでないようにも読める。そういう物語的な奥行きを持たせたかったのではないのか。


いま読み返してみてもやはり私は小学校の時に習った解釈には釈然としないものがある。小学校の国語教育で取り扱うには難しすぎる題材なのかも知れない。これでは国語教育という形はとっていてもその内容は心理学そのものではないのか。国語力というのは、人の心理を深くまで読み取ったり考えたりする力も含まれるのだろうか。だとしたら、小学生にはとても荷が重い内容だと言わざるを得ない。