大学は詐欺師の集団


なんか毎年この時期になると私は大学受験のことを考えずにはいられない。


大学受験ってそもそも必要なのだろうか?


例えば、この先、コンピュータサイエンスが必須教科に入ってきたとする。
大学入試の科目にC++があったらどうなるだろう?想像してみるといい。


センター入試レベルのC++だと「次の空欄を以下の選択肢から選びクイックソートのプログラムを完成させなさい。」とかそのレベルなんだけど、これが東大とか難関大学の入試だとC++のADL(argument dependent lookup)の挙動について正確な理解をしているかを問うような問題が出題されるわけだ。「次のソースコードC++0xのコードとしてコンパイルしたときに得られるであろう結果を答えよ。」なんて問題になるわけだ。


そうなってくると、予備校でもその手の対策をせざるを得ない。


「いいか、今年の出題予想だが、どこそこのメーリングリストで議論されているこれとこの話題がネタ元になって問題が出題される可能性が大いにある。いまから印刷して配るから各自、内容を理解しておくように。」


だとかメーリングリストの内容まで持ち出して受験対策をしなければならない。


その光景はどう見てもコメディーだろう。ちゃんちゃらおかしい。そんなことをして何になるというのか。


そもそもほとんどの勉強は、必要になってからやればいいのだ。必要にならなければやらなくていいのだ。必要になったときにやれるような瞬発力を常日頃から養っておけばいいのだ。


いまの大学受験にもそれと同じことが言えないだろうか。


受験の勉強の過程で身につくことは確かに多い。そのノウハウが社会に出てから新たなことを習得しないといけないときに役に立つ。


しかし、肝心の勉強の中身は社会でたいして役に立たない。


歴史の年号を1年単位で正確に暗記することに何の意味があるのか。ググればすぐに出てくるし、歴史学者じゃないんだし。てか、歴史学者から見ても大学受験の歴史の問題って噴飯ものなんじゃないだろうか。


化学にしてもそう。私は受験勉強のとき、過マンガン酸カリウムと言う文字を何度見たかわからないが、そんな物質、生まれてこのかた、見たことも触ったこともない。たぶん私はこの先も一生見ることも触ることもないだろう。


そう考えると、大学受験って、みんな騙されているだけなんじゃなかろうか。


覚えても何の訳にも立たないようなことばかりを寄せ集め、大学受験と言う名で制度化して、子供たちにやらせ、親たちにはやらなければならないものだと信じ込ませて、大学は生徒から金を巻きあげてるだけなんじゃなかろうか。


大学を卒業しても専攻していたことを活かすような就職口がないような学科っていっぱいあるじゃん。仮に創設されたときは社会的な需要があった学科でもその後日本の産業構造が変わって社会的な需要が無くなっている学科っていっぱいあるじゃん。あれってとんでもないインチキじゃなかろうか。


でも受験生はそういうことはわからない。実際に入学して、大学4年で就職の時期になって「あれ?学んできたことを活かす就職先って無くね?」と気づく。就職先がないなら、大学院に進学しようかと進学するのだけど、博士課程に進むころに、「あれ?この学科なんかおかしくね?」と。就職先がないから仕方なく大学の講師にでもなるかと。


実は、この構図は内職詐欺と何ら変わらない。内職詐欺の手口はこうだ。


内職応募者を募り、実際に募集してきた人へ高価な教材の購入させ、その答案を添削指導する。その教材の学習が最後まで進むと(最後まで達成できるのは全体の1割未満の人らしい)、その人たちには次の内職応募者の添削の仕事をさせる。これの繰り返しだ。


もう何から何までそっくりだ。大学は内職詐欺を大掛かりにやっているだけだ。


…とぐらいに思っておいたほうが、大学に過度の期待をせずに済むと思うよ。
受験生のみんな、気楽に受験しておいで。大学受験なんか、落ちたら落ちたで、詐欺師集団の片棒を担がずに済んで良かったとぐらいに思っとけばいい。いや、マジで。