Ragnarok廃人伝説(2)

Windowsプロフェッショナルゲームプログラミング2【CD-ROM付】 (Game developer books)

最初、私がRagnarokをやり始めたのは、友人の勧めであった。ちょうど『Windowsプロフェッショナルゲームプログラミング2』の執筆開始時(2002年末)ぐらいには本格的にハマっており、仕事もそっちのけで、リアルの生活はもうどうでも良くなってRagnarokのことしか考えられなくなった。ひとことで言えば病気である。


現実のお金より、ゲーム内のお金やアイテムのほうがはるかに価値があるものに思えて、1日20時間ぐらい没頭する毎日であった。私は商人キャラをメインでやっていたのだけど、売りに出しているアイテムが売れたかどうかゲームの世界が気になって、1時間寝ては目が覚めるような始末だ。おおむね、1時間寝て、5時間プレイして、1時間寝て、5時間プレイして…の繰り返しだった。このままでは死んでしまうと思った。でもRagnarokの世界に没入したままなら死んでもいいと内心思っていた。


5垢(垢 = アカウント)で3キャラで同時にレアアイテムの買取チャットを立てて買取を行ない残り2キャラで露店販売するということを繰り返していた。お客さん(他プレイヤ)がアイテムを売りに来ない時間には、仕事のメールを返信したり、ひたすら韓国のファンサイトを情報収集のため巡回(韓国語翻訳経由)する毎日であった。*1


スティグリッツ ミクロ経済学
スティグリッツ マクロ経済学


アイテムの価格データベースをExcelで作って、すべてのレアアイテムの値段の推移を記録し続けた。あれやこれやの相関係数を調べたり、販売数の分布を調べてみたり、曜日ごとの推移をグラフにしたりスティグリッツの経済学の本を見ながら需要と供給シミュレーションのプログラムを書いたりもした。また、レアアイテムは露店で売り買いされるので、当時、大学ノートが2日で1冊書き潰すぐらいのペースで露店の販売価格と販売履歴を記録していたので、何十冊という大学ノートをRagnarokのためだけに使った。


全鯖中でも、ここまで熱狂的にプレイしていたのは、私を除いて誰も居ないと思われる。全鯖中で廃プレイヤが最も集うLoki鯖において、最も廃プレイに徹したのが私だったからだ。RJC(ラグナロクオンラインジャパンチャンピオンシップ)2005、2006で2年連続優勝したCafeteriaのかめごう氏ですら、私のRagnarokキチガイぶりを認めていた。(つづく)

*1:韓国版のRagnarokに適用されたパッチが、遅れて日本のRagnarokに適用される。よって、Ragnarokの動向を知るには、韓国サイトの情報に敏感でなくてはならなかった。