[offtopic][disassembler] みっつ目は自分は呪われたプログラマであるということ(13)

WIZARD?!


当時、カセットテープデバイス(カセットテープに記録するデバイスはデータレコーダなどと呼ばれた)から、FD(フロッピーディスク)に移行しようとしていた。カセットテープメディアはラジカセでダビングすれば簡単にコピーできるのに対し、FDは工夫すればちょっとやそっとではコピーできないシロモノが出来上がる。コピーされまくりのカセットテープからFDへ移行すると同時にFDプロテクトが花盛りになったのも頷けるだろう。(当時はまだソフトウェアのレンタルが合法であったこともその背景にある。)


株式会社 音研なんか、このプロテクト技術で会社を大きくしたようなものだろう。当時、何かのソフトを解析しているとかなりの頻度で「onken」の文字を目にしたものだった。


インターリーブセクタはまだ序の口で、このあと部分的にアンフォーマットにしたり(この考えかたは、CDのリングプロテクトとして生きることになる)、2DDと2Dを混在させたり、読み出すごとにデータが異なる不安定ビットを書き込んだり、ギャップ長を可変にしたり、ドライブの回転数を変えて書き込みをしたりと、そりゃまあいろいろあったのだ。


その手のいたちごっこは、PC-9801シリーズのディスクコピーツールで有名だったWizardの作者である上原哲太郎氏がFDCのバグを利用して本来書き込めないはずのデータを書き込む技術を発見するあたりがひとつのピークとなる。ちなみに、氏は、現在、京大の助教授である。氏は京大在学中にWIZARDを開発し、株式会社ウエストサイド社から発売していたわけで、いまのKMC(京大マイコンクラブ)とウエストサイド社とのつながりはこれが発端だ。(ちなみに、やねう企画は、ウエストサイド様からときどき仕事をいただいているので神戸のほうには足を向けて寝れません。)


正確なことを言うと、私の小学6年生当時はまだFDCバグは発見されていなかったのだけど、大半のプロテクトはわかってしまえば自分で再現できた。そこで、私は“再現できないプロテクト”を考えだすのに躍起になっていたのだ。そんな状況下において、小学6年生の夏休みに、私は絶対再現できないプロテクトを発明することになる。なんと現代に至るまで誰もこのプロテクトを再現した人は居ない。よほどのプロテクト通ならば、ピンと来たかも知れない。そう、あの「伝説のプロテクト」は実は私が小学6年生の夏休みに発明したものだったのだ!そのプロテクトの原理は驚くほど単純なものである..(つづく)


当時のプロテクトについて言及してくださった方が居るのでリンク:
http://d.hatena.ne.jp/Ozy/20040722#p1
そだそだ。これ見ていて思い出したのだけど、そもそもFDは容量に制約がきついから、オーバーセクタでデータ詰め込むのを最初どこのソフトハウスもが試みて、だいたいプロテクトの発端はそのへんの試行錯誤から始まっていたと思う。