歌の掛け声の「さん、はい」ってなんなの?
曲で前奏がない場合、(歌の)始まりのための合図として、何らかの掛け声が必要である。
例えば、4/4拍子の曲で1拍目から曲が始まるのであれば、3拍目、4拍目をカウント(「3」「4」と読み上げて)して、次の1から入る。つまり、こうだ。
レコーディングのときなどは、この「4」の残響が録音に残ったりすると嫌なので、最後の「4」は読み上げないことが多い。例えば、次のように読み上げる。
ここでは、わかりやすい前者についてもう少し考えよう。「3」「4」を読み上げているわけであるが、これは3拍目と4拍目で行なっているので、この「3」が発せられた(発生開始の)瞬間から「4」が発せられた(発生開始の)瞬間までの時間が、1拍分の長さ(時間)というわけである。
これは、異なる時間に発せられた2つのパルス(音)があれば、その間隔(時間)がわかるので、その間隔を基準として、その間隔をそのあとずっと体内でキープしながら、演奏するということである。
つまり、「3」「4」という読み上げは、曲の始まりの瞬間を教えると同時に、曲のテンポについても教えているのである。
ここまでは少しでも音楽的な素養があれば誰でも知っていることである。
ところがややこしいことに、この「さん、し」を上記のような音楽的な意味を伴わない、単なる掛け声として使われる場合がある。
そのことがわかる顕著な例として3拍子の曲で、「さん、し」の掛け声で初められる場合である。おい、一体その「し」はどこの数字なのか。お前は何をカウントしているんだ。とツッコミたくなる。
別の例としては、アウフタクトで4拍目から始まっている曲なのに、「さん、し」である。おい、一体、曲はどこから始まるのか。「さん、し」のあと、心のなかで「いち、に、さん」まで数えて、その次の「し」で始めればいいのか?
こういう音楽的にはでたらめな掛け声が横行している。それも音楽的な素養のない素人ならともかく、音大を出ているような人でもそういう掛け声で曲を始めることがある。子供相手に、教育的な配慮からそのように行われている場合もあるが、なんにせよ音楽的に間違っていることには違いない。
さらに悪いことに、「さん、し」ではなく「さん、はい」という掛け声もある。これは関西地方でよく使われる。一説によると下関弁らしいが、私はこの掛け声をよく耳にする。
「さん、はい」に至っては、もはや意味不明である。「さん、はい」の「はい」とはなんなのだ?おそらく「さん、し」と同様の意図であると思うが、異なっている部分がある。それは、「さん、はい」と掛け声がかけられる場合、この「はい」の部分が4拍目になっていないことが極めて多いということだ。
「さん、はい」は、単なる開始の合図であって、テンポを伝達するための意志が欠如している。しかも、「さん、はい」のあと、独特の間(0.5秒ぐらい)のあとに曲の開始位置が来る。曲のテンポとは無関係である。
どれだけでたらめな音楽教育を受ければそんな掛け声になるのかと苦言を呈したくなるが、これまた音大を卒業しているような人でもそういう掛け声を子供のころからの習慣でやってしまうことが多々ある。本当、やめて欲しい。
あとは、「さん、はいッ」というバリエーションもある。これは「いッ」にアクセントがある。たいてい、この「いッ」のところが「4」に相当する。つまり、「さ」が発せられた瞬間から、「いッ」のアクセントが置かれているところまでの間隔(時間)が1拍分の長さであるということだ。
場合によっては、「さん、はい」で「は」にアクセントをおいて、この部分を「4」に相当するようにしている人もいる。
「さん、はい」という、単なる始まりのための掛け声を音楽的な素養がある人が音楽的な用法に合致するように改良した結果ということだろう。どうせなら、こんな掛け声使うのやめて、「ワン、ツー、スリー」と普通にカウントして欲しい気もするが、「さん、はい」でないと通じない素人を相手にするため、そこは譲れなかったのかも知れない。
いずれにせよ、日本の、何かの始まりの合図である掛け声を曲の始まりの合図に援用しようとした結果がご覧の有様なのである。