すき家の牛丼が驚異的にまずい件


以前、BSE問題で吉野家から牛丼が消えたとき、牛丼が食べたくて仕方がなかった。吉野家から牛丼が消えてから数ヶ月の間、松屋にはまだ牛丼があったのだ。そこで私は吉野家の店の前を通り過ぎながら松屋に足繁く通った。そのとき、吉野家は閑散としており、松屋はいつになく盛況であった。


ところがほどなくして松屋からも牛丼が消えた。松屋から牛丼が消えたときは私は絶望感に包まれた。MSNメッセンジャーの自分の名前の後ろに「@牛丼食べたい」と誰もがつけるようになり、私も「やねうらお@牛丼たべたい」になった。


もうさすがにどこも牛丼はないだろうと思っていたときに、私の友達が牛丼を食べられる店があるという情報を仕入れてきた。


私 「マジか!?もう松屋から牛丼が消えて半年以上経ってるんだぞ。まだ牛丼を売ってるだなんて。そんな馬鹿な。」
友達「それが本当にあるらしいんだ。すき家って言う店なんだけどさ。」
私 「聞いたことない名前の店だな。このへんにあるのか?」
友達「このへんには無い。電車でXXXまで行かないと。自転車だと2時間ぐらいかかるな。」
私 「XXXまで行く電車賃があるなら、オークションで吉野家の冷凍の牛丼落とせばいいんじゃない?」(当時、オークションでは高騰していたが1袋1,000円ぐらいだった。)
友達「じゃあやめとくか?」
私 「いや、自転車で行こう。2時間かけて自転車で行けばお腹もすいてうまいだろう。空腹は最高のスパイスだ。」
友達「わかった。そしたら、他にも行きたいやつを2,3人連れていく。」
私 「じゃあ私も2,3人誘っていく。」


2,3人誘うだけのつもりが、私が牛丼を食べたそうな奴に声をかけると6人ぐらい集まり、私の友達のほうも4人ぐらい集まり、結局12人もの大所帯にて自転車で2時間かけてすき家に行くことになった。


行く道中、いかに吉野家の牛丼がうまいか、なぜ吉野家の牛丼がうまいのかについて、話が盛り上がった。


吉野家風牛丼の自作にチャレンジしたことのあるN君によると、砂糖、醤油、みりんの他に、間違いなくワインが入っているのだと言う。N君は赤ワインを混ぜた場合と、白ワインを混ぜた場合の味の違いについて詳しく語り出し、吉野家の味を追求するためにさまざまなワインを自分で試してみたらしい。


N君によれば吉野家の牛丼に最も近くなるのは甘めの白ワインであるXXXXX(ワインの銘柄)のXX年ものを混ぜたときらしく、さらにアップルジュース、カラメル、日本酒などを入れるとかなり近い味になることから、それらも隠し味として含まれているのではないかと熱弁した。吉野家の牛丼と同等のものを自分で作るとなると材料費だけで1,000円は下らないとも。


それを聞いた誰もが「そうなのかー。なるほど、吉野家の牛丼はうまいわけだ。」と納得した。
そんな素晴らしい牛丼がたった280円(当時)で食べられるとは!


吉野家の牛丼の話で最高潮の盛り上がりを見せたとき、我々の眼前に「すき家」という看板が現れた。「ここが敵地か…」とN君がつぶやいた。N君は「敵地」ではなく「目的地」と言ったのかも知れない。しかし私には「敵地」と聞こえた。


すき家に入ると12人がみんな当たり前のように牛丼を注文した。他のメニューには目もくれない。あまりにお腹がすいているので牛丼を何杯も注文する奴もいた。そうして、大量の牛丼が我々のテーブルに届けられた。


私 「これが待ちに待った牛丼かー」
誰か「いただきまーす」
誰か「いただきまーす」


嬉々として箸をつけるのだが、口に入れた瞬間、みんなの顔が険しくなり始めた。驚異的に味がまずいのだ。


さっきまであれほど高かったテンションもどこへやら。一気にお通夜のようなムードになる。



黙って食べ続ける12人。私は口を半開きにしたまま、機械のように箸を動かし、無機質な感じでご飯を口の中に放り込んだ。


沈黙を最初に破ったのは他ならぬN君だった。


N 「正直に言わせてもらっていいか?」


みんなが固唾を飲んでN君を見守る。


N 「これは…豚のエサだ。」


えーー!!そこまで言っちゃう?言っちゃうの?と私は思った。しばらくの沈黙のあと、箍(たが)が外れたように、溜め込んでいたものを吐き出すかのように皆が一斉にしゃべりだした。


誰か「だよなー。」
誰か「おかしいと思ったんだよ。」
誰か「そもそも吉野家から牛丼がなくなってもう1年近く経とうとしてんだぜ?」
誰か「いまだに牛丼が残っているだなんてさ。」
誰か「そりゃ、豚のエサなのも無理ないぜ。」
誰か「んだんだ。」


そこにN君が一言。


N 「一つだけ言っておく。」


みんなが一気に静まり返る。


N 「牛丼ってなぁ、牛の丼じゃねぇんだよ!」


この言葉の意味が読者にはまったくわからないと思うが、そこに居合わせた誰もがその言葉の真意を理解した。つまり、すき家の牛丼は牛肉を焼いて、それがご飯の上にちょこんと乗っているだけのように感じる。言うなれば牛肉が乗っているだけのご飯。N君が言いたかったのはそんな意味だろう。


誰か「牛丼は牛の丼じゃない!は、名言だな。」
誰か「牛丼は確かに牛の丼じゃねぇし、牛と丼でもねぇわ。」
誰か「牛丼は牛の丼にあらず。書道家に書いてもらって壁に貼っとくべき。」
誰か「牛丼は牛丼であるべきだ。」


誰もがわかったような、わからないようなことを呟きながらテーブルの上の“牛の丼”を平らげた。


すき家を出ると我々は途端に脱力感に襲われた。この道をまた2時間かけて戻らなければならないのか。
闘いに敗れた12人の戦士たちは、お通夜ムードのまま、反省会をしながらとぼとぼと家に帰ったのだ。


という話をTrueRemoteの作者のIchiGekiさん(→ http://blog.x-row.net/ )が大阪に遊びに来たときにしたんですけどね。


IchiGeki「あれ?すき家の牛丼ってそんなにまずいですか?うちの近所、そもそもすき家しかないですし、別にまずいとも思わないんですけど。」


と言われて、すき家の牛丼、本当にそこまでまずいのか私も確信が持てなくなった。


そこでさっき近くに出来たすき家に牛丼を食べに行ってきたのだけど、まずくはなかった。少し辛めの味付けなので、吉野家の牛丼を想像しながら食べると確かに別の食べ物だとは感じるけど、だからと言ってまずいということは決してなかった。


我々12人があの日に食べた“牛の丼”は何だったのだろう。12人の戦士たちはどこかのパラレルワールドに迷い込んでいたのだろうか。いまだに真実は謎に包まれたままである。


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