コンピュータは人間を追い越すのか?(3)

1一飛打が王手飛車



まず人間がヘボだとしよう。棋力で言えば10級ぐらい。3手詰めの詰め将棋が解けるかどうかぐらいだとしよう。10級ぐらいの人は、あまり長く考えてもいい手を指せるかというとそうでもない。これは、形勢を正確に評価できていないからいくら先を読んでも無駄ということもあるし、先を読もうにも局面の枝刈り(指し手の選択肢を減らす作業)の精度が悪すぎて、あまり先まで有効な手が読めないというのもある。それから、局面自体を頭のなかであまり先まで動かせないというのもあるし、動かした局面を次々に覚えていく作業、それ自体が出来ないという話もある。どれもこれも読みを構築していく上で必要不可欠な作業だ。


よく考えてみると、これは程度差すらあれプロでも同じだ。局面を記憶していく作業にしても、1000局面や1万局面ならば覚えられなくもないと思うが、10万局面や100万局面でも覚えていられるかと言えばどこかで記憶がゴッチャになってくるんじゃないかと思う。だから仮に1000時間の持ち時間があったとしても、持ち時間6時間の将棋に比べていい手が指せるとは限らない。どこかで読み抜けや、いざその局面になってみないと気付かないことが出てくる。


ところがコンピュータの場合、そういうことがない。その局面にならずともその局面のことを正確に思い浮かべることが出来る。(もちろん考えるのには時間が必要だから、その局面を適切に評価するための計算時間が配分されないことには意味がないが) そして、そのことを正しく記憶しておける。


そう考えれば、もしコンピュータが人間ほどの精度で形勢判断を出来るようになれば、局面を読むスピードが人間の何万倍もあって、局面を正確に記憶しておけるコンピュータに、人間がかなうわけがないという意見はもっともらしく聞こえるし、よく見かける。でも実際、話はそう単純ではない。(つづく)