自分の居場所(1)

うちの会社で仕事をしてくれている人のなかには、大学中退(or休学)の人が居る。彼らは「大学なんか出ても仕方ない」ということを幾度となく何かの呪文かうわごとのように繰り返しながらも、自分が大学を中退(or休学)であることを自分の身体が不完全であるかのように感じている。私には、この状況がどうにも居たたまれない。


フリー編集者兼物書きの仲俣さんの発言にこういうのがある。

id:solar:20050407#p1


大学なるところで獲得されるはずの教養なり学問なりに対して、
いささか幻想めいた期待をしていた一瞬というのがある。

少なくともそのような期待をもって入学してくる学生は、いまでもある程度はいるだろう。

大学というのが社会においていかなる機能を果たすべき場なのか、
ということについて、ここで議論できるだけの持ち合わせがぼくにはないが、
もしそういう期待をもって入ってくる学生がいまもいるなら、彼ら彼女らに対して、
これだけのことをすればここまでは行けるよ、という現実的な道筋なり、
そんなのは幻想にすぎないぜという、より身も蓋もない「現実」なりを、
なるべく早くに提示してあげることは大事な気がする。


それはその通りだと思うのだが、一般的に言ってそれはとても難しい。学生同士が話し合ったところで「大学を出ておくと、仕事が多い」だの「大学院を出ておくと、給料がこれくらい多い」だとか、そういうレベルの議論に終始してしまう。(つづく)