みっつ目は自分は呪われたプログラマであるということ(15)

全然威張れたことではないのだが、それまで私は日々の宿題すら一度もやったことがなかった。だから黒板の左隅にある宿題を忘れた生徒の名前欄には常に私の名前が書いてあった。他にも宿題忘れの常連が2,3人居たのだが、授業参観の日が近づくと黒板の左隅に自分の名前があるのは恥ずかしいからという理由で、その2,3人ですらこぞって宿題をして行ったものだ。だから私の名前だけがいつもぽつんと残されていた。


黒板には宿題忘れでいつも名前が書かれている私だったが、それでいて、授業参観のとき(たいてい算数の授業だ)、難問が出て生徒が誰ひとり答えられなくても私だけは必ず答えることが出来た。(そもそもマイコンで必要だからと高校の数学をやっていたので小学校の問題ぐらい出来て当然なのだが) だから教師としても宿題をやっていかなくとも大目に見てくれたという意味もある。教師にしても、宿題忘れの常習犯がクラスで一番頭がいいのではさぞかし授業をやりにくかっただろう。


私が宿題をしていかなかったのは、もちろんやるのが馬鹿らしいという意味もあったが、それより何より私にとって家とはマイコンをするための場所であって、学校の宿題などという猥雑なものを持ち込んではいけない場なのだと、そういう認識があった。


思い返してみれば、当時は本当に四六時中マイコンの前に座っていた。土曜の昼過ぎから、自分の部屋に閉じこもってマイコンをして、そのまま月曜の朝まで食事もトイレも行かずにマイコンをしていたこともある。気がついたら母親が「息子が行方不明になった」と捜索願を出していた。まったくもってシャレにならない。


つい先日、ニュースで二階で息子が寝てるのにオレオレ詐欺に引っかかった間抜けな母親の話が流れていたが、私はそのニュースを聞いてもあまり笑えなかった。


そんな、私が小学6年の「夏休みの宿題(自由研究)」をして行ったわけだ。(算数と国語の宿題はしていかなかったけど) 誰しもが「ええ?!あいつが宿題を!?」と思ったに違いない。「夏休みの宿題(自由研究)」は一人ずつ教壇に立って行なうものだったのだが、いままで一度も宿題をして来たことのない私が宿題をしてきたという事実が他の生徒にはよほど奇異に映ったらしく、クラス中の誰もが耳を傾けるなか、教壇に立っての私の発表が行なわれた。(つづく)