みっつ目は自分は呪われたプログラマであるということ(2)

とは言っても自分でTK-80を買うほどお金も無く、8080のインストラクションはすべて覚えているから、「れんらくちょう」にひたすら16進数コードを書くのが自分にとってのプログラミングという行為だったし、「れんらくちょう」こそがマイコンマイクロコンピュータではなく、マイ・コンピュータ?)だった。なぜ「れんらくちょう」だったかと言えば、「れんらくちょう」は科目に縛られず提出することも求められなかったので「自由帳」に相当するものが「れんらくちょう」だったという理由にすぎないのだが。


マイコンについては若干補足しておかなければならない。当時は、パソコンという言葉もあまり一般的ではなかった。どちらかと言えば「マイコン」という言葉が主流だった。たとえば「京大マイコンクラブ(KMC)」(1977年発足)なんかにも、そのへんの名残を感じることが出来る。


ともかく、当時のマイコンはと言えば、電卓の代わりに使えればまだいいほうで、初期のものだとそれすらままならない状態だった。世間ではマイコンと言えば金持ちの道楽と思われていたわけだ。私の家では何の役にもたたないことの代名詞として「マイコン」と言う言葉が日常的に使われていた。「ああ、自転車の鍵が壊れて、マイコンになったよ」とか「強風で傘がマイコンになったよ」とかそんな会話が飛び交う毎日であった。(つづく)