みっつ目は自分は呪われたプログラマであるということ(1)

鬼○○のひとにした三つ目の話は、「自分は呪われたプログラマである」ということだ。今回の話はかなり特殊な話なので、別に誰かに共感を求めているわけでもなければ、同意して欲しいわけではない。もしろ、否定してもらえたほうが、胸の奥につかえているものがとれてスカっとする意味はある。


私が最初、プログラムを始めたのは幼稚園のころだ。友達のおじさんがTK-80を持っていたので時々遊びに行って、触らせてもらっていた。いまから25年ほど前になる。次第にアセンブラ..というかマシンコードを覚えて、マシンコードを直接入力してプログラムしていけるようになった。知ってる人は知ってると思うけど、TK-80はいまで言うテンキーと電卓のような7セグメントLED8桁から構成されており、マシンコードを入力してすぐにレスポンスが得られるという点では、いまのプログラミングよりはるかに敷居が低く、ある意味インタラクティブな環境であったわけだ。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-oga/tk80/


そんなわけで、小学校に入学するころには、もう頭のなかに8080が完成していた。*1 8080の命令は 2 + 3 + 3bitで構成されていたので、誰でもその気になれば覚えられたわけである。特に子供は記憶力がいいから、20語や30語覚えるぐらいわけなかったのである。当時は、生活にかかわる何もかもをニーモニックかマシンコードとして理解していた。小学校の休み時間が10分あるのならばそれは「NOP(ノップ:何もしない命令のこと)が10clock(テンクロック)」とわけのわからないことを言う少年だった。


当時、自分が8080になって8080のコードをエミュレーションする夢を何度も見たことがある。たぶん、日本で初めて「自分が8080になる夢」を見た少年だったに違いない。夢の最後には必ず「NMI RESET(None Maskable Interrupt:抑制できない割り込み)」がかかって目が覚めるといった具合だった。(つづく)

*1:この後、爆発的に普及するZ80は8080を手本として上位互換の形で設計されている。