心はいつも仏ですよ、と。

やねうらおの好きな言葉に「鬼手仏心(きしゅぶっしん)」というのがある。


広辞苑によると「外科手術は体を切り開き鬼のように惨酷に見えるが、患者を救いたい仏のような慈悲心に基づいているということ」らしいのだが、大学時代に小遣い稼ぎによく将棋を教えに行ってた将棋好きにおっちゃんの家に掛け軸として飾ってあったのだ。


だもんで、当時、この「鬼手」とは、将棋の「鬼手」のことかなと思っていた。将棋で一番相手にとって厳しい手「鬼手」を指すとき、それは将棋盤にあいたいして成された精神作業の所作なのだから、心は仏のような状態、すなわち精神がよほど平静でなければ指せない。そういう意味かと思っていた。本来の意味とは少し違う解釈だったけど、このことは、何より仕事をしていく上での自分の指針となった。


鬼のように仕事をこなさないといけないとき、心を鬼にしてはいけない。心はつねに仏だ。そうでないと、鬼のように仕事をこなせない。心が鬼になりそうになったとき、私はいつも「鬼手仏心」を思い出すことにしている。