Ragnarok廃人伝説(6)
他プレイヤとの協力プレイを行なわないといけないMMO(多人数オンラインゲーム)において、ひたすら他プレイヤを無視してzeny(ゲーム内の仮想通貨)や経験効率(経験値を獲得する効率)のみを追求するのは、ある意味病気である。
プログラムのコードを短くして何が楽しいの?と言われるかも知れないが、これも病気の一種には違いないと思うものの、アルゴリズム的な改善点や技法という意味では非常に高度であって意味はそれなりにあると思う。
オンラインゲームにおいてはどうだろう?ゲーム内で経験値を稼いで、それで何になるというのだろう?私の場合、最初、PTプレイ(PT : Party)で他のメンバーの足を引っ張る自分に嫌気が差して「他のメンバーの役に立てるようになりたい」と思った。
ところが、ある地点で「ともかく、強くなりたい」と思うようになり、それが高じると「ともかく最高の経験効率を叩き出したい」と思うようになった。そもそも、レベル(Base Level)は99以上にはあがらないわけで、そこ以上経験値を稼くことではキャラクタ強く出来ないし、PTを組もうにもレベルが違いすぎると経験値の公平分配を行なうPTを組むことすら出来ない。要するに本末転倒なのである。誰かの役に立つつもりが、誰の役にも立たなくなっている。
ただ、最初の理由はどうあれ、目的を設定して、その効率性を追求する過程にはある種の快楽があるのだとだけ言っておく。そして、そういった快楽に惹かれやすいのがプログラマに共通の気質なのだと思う。あなたがプログラマならば、意味もなく最適化しようとしたり、意味もなく実行効率を追い求めようとしたり、意味もなく自動化しようとしたりすることがあるだろう。まあ、そういった日ごろの鍛錬が結実することだってあるので、ことプログラミングに限ってはそういう行為にも本当に意味や価値がないわけではないのだけども。(つづく)