人は社会の歯車ではナイ!

プログラマに救済を!


自分という存在は一体、何なのだろう?


国内のプログラマ人口は、50万から100万人だと言われている。会社で開発部なんかに所属していると机に座って見渡せば、どこもかしこもプログラマが居て、「自分がやらなくても誰かがやってくれるだろう」だとか「自分にしか出来ない仕事がしたい」とか思う時期がある。


これは思春期みたいなもので、プログラマに限らず誰にでも必ずやってくる。「さよならプログラマid:ryoko:20041021)」や、「天職を探せ(id:higepon:20040816)」からは、そんなプログラマのため息が聞こえてくる。


「自分という人間が会社において交換可能な部品である」のは、普通、まあどんなプログラマでもそうだ。職人芸を要求されるような超高難度なプログラムの仕事なんて、そうそうない。仮にあったとしても、そんな仕事がこなせるのは、プログラマのうち100人にひとりとか1000人にひとりとか、そういった規模だ。


果たしてプログラマを1000人、無作為抽出して、そのなかでトップになれるだけの技術があるか?ほとんどの人はノーだろう。言うまでもなく、1000人中、999人の人はノーなのだ。そんな職人レベルのプログラマが居なければ成功しないようなプロジェクトに会社の命運をかけるようなことを(まともな経営者ならば)しないだろう。だから、そういう仕事そのものに出くわすこと自体がほとんどない。


「じゃあ自分がやっていても仕方がないのか」「自分はやる必要はないのか」「自分はしなくてもいいのか」というとそれはまったく違う。


本人は「完全に技術フェードアウト」組だと言う id:ryoko にしても、経営者視点で見ると喉から手が出るほど欲しい人材だ。まず、会社に通える場所に住んでいて、定時に会社に出てきてくれて、こちらが出した作業をそつなくこなせて、それで一定の金額(まだ若いからそんなに高くはないだろう)で働いてくれる人というのは、そうそう居ない。そういう人を探すために会社はリクルーティングにどれだけの金を使っているのか、人事にどれだけの労力を払っているのか、いまの若い人たちは気づいていない。


だから、「こんな、誰でも出来るようなつまんない仕事したくないなぁ」だとか「技術的に、もっと面白いことがしたいなぁ」だとか言って会社をやめていく。じゃあ、「あなたと同じ給料かそれ以下で働いてくれる、あなたと同じかそれ以上の技術力を持った人を連れてきてください」と言いたくなる。たいてい、それは簡単なことではないのだから。