みっつ目は自分は呪われたプログラマであるということ(8)

私の場合、このころ学校を休んでいたこともあって、毎日暇を持て余し、電気屋に足しげく通いパソコンは片っ端から触った覚えがある。ざっと思い出せるだけでも小学校〜中学校のときに触ったマシンはコモドール64、MAX MACHINEやM5、ぴゅう太RX-78、S1、FM-8/7、MZ80/700/1200/1500/2000/2500。X1C/D/F/turbo/turboZ , X68K , PC6001/mkII/SR , PC6601/mkII/SR , PC8001/mkII/SR , PC8801/mkII/SR , PC9801E/FA/RA , if800 , PASOPIA16 , SMC-70/777 , FP-1000/1100 , JR-100/200である。当時発売されていたパソコンの大半は触っていたと思う。


マイコンBASICマガジン」片手にそれらのBASICを片っ端から覚えていったわけだ。マイコンBASICマガジンは、創刊号から買っていた。途中から、スーパーソフトウェアマガジンというカラーのゲーム紹介の小冊子が付くようになって(ゼビウスのマップとかマッピーの攻略とかが載っていた)、2年ほど続いたあと、スーパーソフトウェアマガジンは、BASICマガジン本体の巻末に吸収される形になった。


おばあちゃんがパソコンを買ってくれるというのでおばあちゃんとパソコンショップに行ったのはマイコンBASICマガジンが創刊になった頃だった。母親は火に油を注ぐようなものだと言って激怒したが、おばあちゃんは、私には優しかった。当時は、パソコンショップと言っても、普通の電気屋のコーナーの一角だった。おばあちゃんは、パソコンのことは何もわからないくせに、しばらくパソコンを物色したあと「コモドール64」をゆび指して、これがいいと言った。


たぶん、「コモドール」に「子、戻る」すなわち、「子供がマイコンキチガイから逸脱し、普通の状態に戻る」ということをかけた、ひどい駄洒落なんだろうということは私にもなんとなく察しがついた。確かに「コモドール64」なら、64回ぐらいまともな状態になりそうではある。しかし、残念なことに、そのあとおばあちゃんが他界するに至るまで、私はひとときもマイコンキチガイから抜け出すことは出来なかったわけではあるが。(つづく)