ふたつ目の話は、コンパイラは道具ではないということ(1)

頭のいい人に限って、物事をある段階から道具だと割り切ってしまう。「数学は道具だと思って」「コンパイラは道具として」みたいな感じでだ。本当に数学と最先端で向き合っている人は、決して「数学は道具」だとは考えていないだろう。コンパイラにしてもそうだ。Visual Studioなりmetrowerksなりを使っているだけでは、確かにこれは道具だと思ってしまう。もちろん仕事の現場でそういう認識をしていたとしても、誰もそれが間違いだと咎めることは出来ないだろう。実際、そのプロジェクトにかかわる人たちは、みなコンパイラを道具としてしか使っていないのだから。


しかし、そういう認識は、すごく危ういと思う。そういう扱いをする限り、いずれ、「コンパイラのなかの人」(のっぺらぼうで、顔に「コンパイラ」と書いてある人を想像するとヨロシイ)が怒って報復にくるんじゃないかと思う。「コンパイラのなかの人」が馬乗りになって「何が『コンパイラは道具として』じゃ!道具以下の虫けらめが!」と殴りかかってくるんじゃないかという脅迫観念が自分にはある。それは単なる妄想レベルの話ではないと思う。これには少し説明を要するかも知れない。(つづく)