ギルド戦の夏


夏と言えば何と言ってもギルド戦である。夏になると学生が休みであるせいかオンラインゲームの人口が増える。ギルド対ギルドの戦い、いわゆるGvも盛んになる。


私のとあるゲームでの印象深いギルド戦もとある夏のことだった。



そもそも私はそのときまでギルド戦にはうんざりしていた。というのも人数制限のないギルド戦だと数の暴力が横行しており、数(ギルドの人数)が多ければ多いほど圧倒的に有利になるからだ。


そういう状況では、ギルド戦は単に人数をいかに集めるかという戦いになり、それはゲームとしての戦略とはかけ離れたものとなる。有象無象の者たちをいかに数多く集めるかというゲームに成り下がってしまう。


もちろんそれはそれで楽しい部分もあるのだが、ギルドメンバーの大半が小中学生だと「おかんがお風呂入れって言ってるから」だとか「ゲームは1日1時間って言われてるので」だとかで、決められたギルド戦の時間にログインすること自体がままならない。


会社で言うところの出社拒否&無断欠勤のオンパレード。こんなことなら会社経営のほうがよっぽど簡単だ。金を払っている限りはアルバイトであっても一応は出社してきてこちらの言うことを一応は聞いてくれるのだから…。


ともかく、もう人数を集めるギルド戦はこりごりだと思っていた。思っていたのに…またやってしまった。ゲーム名はあえて秘す。とある夏のことだった。


そのゲームには、30程度の職業があり、支援職から近接職までありとあらゆる職が存在した。それぞれの職が40程度のスキルを有していて全体で1200程度のスキルがあった。


私が所属するギルドの人数が40人ほどしかいなかった。(大手のギルドはどこも100人以上いた) 人数では圧倒的に負けている。だからと言って我々は有象無象の連中をギルドの仲間に加えることはしなかった。ギルドの勧誘もほとんどしなかった。本当に気の合った仲間だけでやっていた。


我々はどのスキルでどのスキルが打ち消せるかなどを徹底的に調べ上げ、SNSで調査結果を報告し合い、そして、連日のように激しく意見を交わした。また、ギルドメンバーの理解度を確認するためにギルド内で定期的に習熟度テストを実施した。


「このスキルを妨害するスキルをすべて挙げよ」「このスキルの上位互換のスキルをすべて挙げよ」に始まり、「こういう状況になったときに支援職としてとるべき行動を優先順位をつけて挙げよ」etc…。


そして我々はギルド戦の動画を録画して、ギルドメンバー同士がそれを見ながらSkypeで頻繁に議論した。これがとても勉強になった。



そのあとある日、一つのブレイクスルーが起きる。



一般的に、レベルを上げるにはたくさんの時間が必要になる。スキルとステータスの選択を誤るとリセットできる仕組みがない限りはキャラクターの作り直しになる。これはたいていのMMORPGでは事情は同じだ。


ただ、そのゲームではレベル上げを超効率的に行なう方法を私が発見した。これにより、ギルドメンバー全員が瞬く間に最高レベルになった。(もっとも、それ以前の段階でほとんどのメンバーは最高レベルに到達していたのでそのこと自体にはあまり意味はなかったが)


それだけでは飽きたらず、ギルドメンバー全員がすべての要職(ギルド戦で必要となる主要な職種)を作成し、それらを最高レベルまで引き上げた。


こうしてギルドメンバーの全員が要職経験者となった。もともと我々は熱心にスキルを研究していたので、ギルドメンバー全員が製作者すら想定していない習熟レベルにまで到達するのにそれほど時間は要しなかった。


ギルド戦でも、我々はSkypeで連絡を取り合った。多重ログインで各砦に潜入し、どのマップにどれくらいの敵がいるかなどを正確に報告し合い、リーダーがその結果をまとめ、正確で合理的な判断を下した。


その結果、我々はとある夏にわずか40人でそのゲームサーバーの全砦を制覇したのだ。これはそのゲームサーバーが始まって以来の快挙だった。



それは本当に不思議な体験だった。
かつて体験したことのないような体験だった。



全員が要職経験者だから、ギルド戦の時に他のギルドメンバーが次の瞬間にどう動くかがわかったのだ。「自分ならこう動いて欲しい」「こう動くのが合理的だろう」という想いが言葉なしに伝達でき、他のギルドメンバー全員が本当に自分が考えた通りに動いた。


私にとって、ギルドメンバー全員が自分の手足のようであったし、そして同時に自分も他のギルメンの躰の一部であった。自分は他人であり、他人は自分だった。我々は全体として一つの生命体だった。


「人間はこんな風に他人と協調的に作業を行なうことが出来るのか!」という感動と、「言葉なしに自分の意志がこんなにも的確に伝達できるのか!」という発見と、自分と他人が一つに交わるような奇妙な一体感がそこにはあった。


私はこんなことを体験したのは初めてで、他人を信頼すること、他人を信頼できるということとは何と素晴らしいことなのだろうと思った。私の脳内ではやばげな脳内物質が出まくりで、そのときはもう死んでもいいとさえ思っていた。


そして、何故この水準の他者とのコラボレーションが自分の仕事の枠組みのなかで出来ないのだろうかと本当に残念に思った。


一般的に言って、プログラマーは他人の書いたプログラムのことを根本的に信頼していない。その人の人柄や人間性は信頼していたとしても、プログラムそれ自体を信頼していない。私の場合でも、何十年とプログラミング経験のある自分のプログラムにさえときどきバグが含まれているのだから、他人のプログラムにだってそれと同じか、それよりもっとひどいレベルのバグが含まれているだろうと疑ってかかっている。


また、同じプログラマー同士でも専門とする分野が違うと、相手が何をやっているのか正しく理解することは難しくなってくる。何やっているのかよくわからないけど給料もらってやがるぐらいにしか思っていない相手を信頼したり尊敬したりできるだろうか?何をやっているかわからない相手の仕事に敬意を払うことは本当に難しいのだ。


そのゲームでは問題領域が狭かったのでたまたま質の高いコラボレーションが可能だったのかも知れない。ビジネスの世界では問題領域も広く、そしてそれゆえ相手のことを心から信頼できることも稀だ。私は気の合う仲間と仕事がしたいし、しているつもりだが、しかし、気が合うからと言って私は彼らの仕事に本当のところ全幅の信頼は寄せていないのだと思う。



そしてその夏が終わり、我々のギルドは解散することを決意した。



問題領域は狭かったかも知れないが、その狭い問題領域のなかで我々はエキスパートと呼ばれる領域に達し、そして、心の底から仲間を信じ合い、共に行動することが出来た。ひと夏の体験としては十分すぎるだろう。


たぶんビジネスの世界で私がそのゲームのときに体験したような一体感を味わえることは死ぬまでないだろう。それは本当にとても残念なことだが…。