スーパーサイヤおっさん(3)

id:yaneurao:20050925の続きでCYCさんの話。今回はバーチャファイターのこと。



というよりは、セガ格闘ゲーム全般で。


10年前、国際科学技術専門学校というところの非常勤講師を2年やっていたことがある。その時の学生に、「先生、ゲーセンにすごいゲームあるからやろう」と言われ、VF1をやり始めたのがはじまり。当時、ポリゴン処理された格闘ゲームは無く、超カクカクしているものの、その技術のすごさに感心してはまった。(ゲーム性よりもそっち)そして、大会にも出るようになり、地元旭川のローカル大会で優勝。


その後、劇的な技術進化で登場したVF2,ゲーセンから筐体が盗まれる事件まであったこれにはまる。発売当初、アミューズメント関連会社のNO3として、北海道全域を統括していた。ゲームセンターを管理する立場にあった私は、VF2を当然入荷する。そして、設定もやりたい放題(^o^)長く自分が遊びたい為に1試合5セットという超お得設定。そして、発売1週間後には83連勝(3時間くらい)勝ち続け、旭川パイと呼ばれるようになる。(当時、強いプレイヤーは、地名+キャラ名というのが流行であった)この頃から、全国大会などが行われるようになり、北海道は激戦区に。


全国2位、3位などが札幌から登場。当時のブライアント兄弟などが席巻する。私は、北海道予選2位で全国出場権を逃す;;


そして、時代はファイティングバイパーズ


北海道で4人出場できる異例の枠。男女合わせて11人で全道を巡回。店舗予選エントリーに郵送手段を使った。後に、この行為がセガに禁止されることになる。全道予選に出れる16の店舗のうち、10を自分たちで埋める。ただひとつ函館で予選を通ろうとした私だけ函館決勝で敗退。往復800kmを日帰りして、無惨な結果に;;


だが、仲間内の1人が全国2位になったため。救われる。そしてVF3の時代へ。3の時の全道予選は、決勝がブライアント兄弟の1人、ススキノジャッキー。しかし、私にはアクシデントが。決勝戦5日前、車のトランクに指を挟み、とてもボタンを押せる状態になかった。骨折1歩手前である。しかし、決勝戦で2−0となり、全国@1歩というところで、そのケガが原因による致命的なコマンドミス。2−3とひっくり返され、またも2位で全国出場権を失う。草薙ちゃんとキャンセルすれ←わし。


次はラストブロンクスの時代。


リサというキャラを操り、発売初日から103連勝の偉業を成し遂げる。海水浴帰り直行の全道大会で、ここでも、またも全道2位。しょぼん;;


VF4発売


ここから段位システムが導入される。ネットでいろんなレア情報を流したため有名サイトとなる。


北海道代表戦またも2位;;とにかく、2位ばかり。


この時代から交流がインターナショナルになる。ソウルのトッププレイヤーと現地で対戦。仲良くなり、自分が主催するセガ格闘ゲーム大会「全道闇トーナメント」にソウルから招待。これがきっかけとなり、日本とソウルの交流が爆発的に広まる。ソウルにも全額旅費つきで招待された唯一のプレイヤーだと思われる。その後、セガの格闘新世紀などでパフォーマンスがネットで中継され、ニューヨークの見知らぬバチャっ子に”CYC!”と叫ばれる。本人なぜ知られてるのかは、ここで初めて知ることに。今では、世界各地のバーチャプレイヤーと交流もあり、今年もピンボールの大会の前にニューヨークで対戦してくる予定。