ひとつ目はお金の話
何を話したか忘れてしまったけど、ひとつはお金の話をしたと思う。
いま、やねう企画でやっている仕事の3割ぐらいは携帯関係のソフト開発だ。携帯の仕事というのは、アプリの規模が小さいので単価が安い。安いのだけど、安い仕事だから、なおさら請け負い先によって、単価が何倍も違うことはザラにある。だから、往々にして作業量に比例したお金というのは得がたい。
会社勤めしていると、そういうのが実感として湧かない。とりあえず休まずに会社に行ってノルマさえこなしていれば毎月自動的に報酬が振り込まれる。自分がやった仕事の価値に対して支払われているという感覚は薄らいでくる。
対して、フリーで仕事をしていると、何かの折にあぶくゼニを手にすることがある。それは、たとえば、A社から引き受けた仕事をB社に紹介することによって得られるマージンだとかである。何らかのきっかけさえあれば、誰でもそういった“あぶく”を手にすることが出来るだろう。
手取り20万の月給で働いていた男が、ある日、そういった“あぶく”で240万の金を手にしたと考えてみよう。自分の一年間の労働の対価として払われていた額が、まさに、その“あぶく”なのだ。自分の労働とは何だったのだと思いかねない。否。本当は、もらえていたのは、最初から労働の対価などではなかったのではないのか?
たとえば、1000ステップのプログラムの相場がこれくらいだとか言ったところで、そんなものはまやかしに過ぎない。携帯のアプリにせよ、いまの1/10しか儲からないならば報酬が1/10であっても何らおかしくはない。逆に10倍のマーケットがそこに展開されているなら、報酬が10倍でも不思議ではないだろう。
プログラムがお金になるのは、たまたまそこに市場があるからだ。労働したからお金がもらえるだとか、プログラムを書いたからお金がもらえるだとか言うのは勘違いも甚だしいのである。
...というような話をしたかなぁ..(´Д`) < うつろな記憶