森田和郎氏、逝去される


森田将棋」で有名な森田和郎氏が2012年7月27日に亡くなっていたことが、週刊将棋6月5日号と将棋世界7月号で報じられている。*1


森田将棋と言えばコンピューター将棋の草分け的ソフトで、当時にしてはずいぶんと棋力の高いソフトだった。

私にとっては、森田氏は、リバーシ(オセロ)のプログラムのほうが印象に残っていて、『月刊アスキー』で定期開催されていたオセロリーグに出場し(第4回/1982年)*2、ぶっちぎりで優勝していたことを覚えている。そのあと、第5回、第6回、第7回と4回連続優勝。当時、月刊アスキーの愛読者だった私は、森田和郎の名前を嫌というほど頭に叩きこまれた。


私が思うに、当時、それほどゲーム木探索の技術に差があったわけではないので、結局、森田氏独自の高速化技法と評価関数の手チューンがぶっちぎりで優れていたということになる。


そして、森田氏はその自分の考え(アルゴリズム・アイデア等)を惜しみもなく誌面で公開されていた。競技という面で言えば、情報を公開するのは損につながるが、森田氏は自分の損より、コンピューターオセロ技術の全体的な進歩のことを見据えていたのだろう。


森田氏の精神性がそのあとコンピューター将棋の方面にも受け継がれ、ソースコードの公開(BonanzaGPS将棋、Blunder等)へと繋がっている。それを思えば、コンピューター将棋史を語る上で、森田氏の名前を欠かすことは出来ない。


私は森田氏に直接お会いしたことはないのだが、8年ほど前に知り合いのグラフィッカーとMSNメッセンジャーで話していたときにこんな会話をしたのを覚えている。


グラフィッカー、以下グと略す。


グ「後ろに、将棋とかで有名らしい森田さんって人、いるんですけど。やねさん、知ってはります?」
私「はぁ?もしかして森田和郎さん?」
グ「えーっと(本人に下の名前を確認中)、そうです。そうみたいです。」
私「うわーマジで…」
グ「なんか、いま将棋のサイト作ってはるみたいなんですけど、もう2週間ぐらいここ(会社)に泊まりこみで、
家帰ってはりませんし、お風呂入ってはりませんから…」
私「それは臭そうやね…」


みたいな会話をした。(森田氏は、ちょうどそのときマイナビの将棋サイトの仕事をされてたんだと思う。)


「2週間風呂に入ってない」のくだりは、まあ、仕事のほうがご多忙だったからだとは思うが、しかし、森田氏はもともと身なりとか清潔さとかには頓着しない性格だとは思う。


好きなことに好きなだけ打ち込み、それ以外のことは目に映らないという典型的なハッカー気質の人だったのかなぁと私は想像している。私は上のエピソードを思い返すごとに「私もそれぐらい集中して物事に打ち込むことが出来たならばいまごろもっと…」とか考えてしまう。そういう意味では私は森田氏のことが羨ましくて仕方がないのかも知れない。


謹んで哀悼の意を表します。




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森田和郎さん追悼(UEI shi3zの日記)
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20130601/1370100273

*1:http://book.mycom.co.jp/blog/shogi/2013/06/01/3063/

*2:Wikipediaの「森田和郎」のページでは、第3回から出場になっているが、第4回目から出場が正しいと思う。