ドワンゴの川上会長との対談その後


ドワンゴの川上会長と私との対談記事が公開された。当日、緊張のあまり、うまくしゃべれていなかった私であるが、4Gamerの神編集によって素晴らしい対談記事へと昇華しており、twitterでの言及数はこの対談シリーズのなかで現時点ですでに過去最多を記録している。是非、ご覧いただきたい。


電王戦,なんで勝てたんですか?――「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第15回は,「BM98」を開発した伝説的なプログラマーやねうらお氏がゲスト
http://www.4gamer.net/games/001/G000183/20131222001/

関連)
ドワンゴの川上会長に聞くべきだった『経営はなぜクソゲーなのか?』
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20131126#p1


記事が公開されてから3日間は4Gamer.netの注目記事ランキング1位だったようだ。また、ニコニコ動画のトップページからもリンクが貼られている。(ここ、広告枠としての価値は相当なものだろうに…) ともかく、私にとって生涯最高のクリスマスプレゼントとなった。川上会長&ドワンゴ様、そして電王戦関係者の皆様、ファンの方々に改めて感謝の意を表したい。


さて、上記の対談のときには私はうまく話せそうになくて、話題に出すのを見送ったものがあるので、それについて詳しく書いてみたい。


上の4Gamerに掲載された記事にもあるように私はラグナロクオンラインのなかで、「まいにちあゆみ」と名乗って商人キャラを使っていた。このゲームのなかで一番多くのプレイヤーと接する機会があるのは商人である。何故なら、あらゆるプレイヤーは狩りで得たアイテムを何らかの形で自分の欲しいアイテムに交換しなければならないが、それを媒介するのが商人だからである。


当時、商人として、他の商人をなるべくたくさん仲間につけ、私は商人としての巨大ギルド(組合のようなものの意味で、ゲーム内のギルドという意味ではない)を発足させていた。そのサーバーでゲーム内で高額アイテムを扱う商人はすべて私のギルドに属していた。私の意志によって、特定アイテムを独占化することが出来る状態だった。


私は単なるレアアイテムの転売により利ざやを稼ぐのではなく、超レアアイテムの寡占化などを意図的に行うことにより、市場を掌握しようとしたわけである。そのため、商人の横のつながりを重視し、そして、新人商人を一人前の商人に育成することに尽力していたわけである。それはつまり、市場をどこまで一人でコントロールできるかという経済学的な実験、そして、どこまで一人で自分のギルド(組合的な意味で)を大きくできるかという社会学的な実験をしてみたかったからである。


だから、当時、出会った商人にはともかく親切にすることを心がけた。そのためか、いまだに当時にゲーム内で出会った人から感謝されることがある。例えば、以下のツイートは、ASCII.jpのライターである渡辺由美子さんのものである。



私は自分の実験目的のために他人に親切にしていたのだろうか?それは断じて違うのだ。他人に親切にすることで、仲間の輪が広がっていくのが単に心地良かったのだ。私は他人の世話を焼くのが好きなのだろう。


そうやって、ゲーム内でたくさんのつながりが出来た私であったが、しかし、一つだけ心残りがあった。それは、このゲームの世界にこのままずっといていいのか、ということだった。


オンラインゲームの世界では、運営会社こそが神であり、「神がお前は悪存在だ」と言えばゲーム内で処罰される。「MPK(Monster Player Kill = モンスターを大量に誘導し、他のプレイヤーを殺すこと)は迷惑行為であり、そのような行為を働いたプレイヤーはBAN(ログインできなくすること)する」と運営が言えば、プレイヤーはそれに甘んじなければならない。


つまり、ゲーム内のルールとその運用を決めるのは運営会社なのである。ルールは、基本的には明文化されている。「MPKは迷惑行為である」などと公式サイトなどに書かれている。しかし、何をもってMPKとみなすかは実際の運用上の問題であり、明文化されていない。また、「バグ利用は禁止」とも書かれているが、しかし、何がバグかは、明文化されていない。(その時点では見つかっていないバグもあるので) では、この運用部分が適切であるかをゲーム世界のなかから観測(検証)するにはどうすれば良いだろう?


当時、私は上図のようなものを想定した。上半分がEvil(悪い行動)で、下半分がGood(良い行動)だとする。当然、その境界がどこかにあるはずである。それが緑の曲線である。Goodでも図の下のほうは、かなり良い行動を意味していて、これは誰が見てもGoodである。逆にEvilでも図の上のほうは、かなり悪い行動を意味していて、これは誰が見てもアウトである。チートなどがこれに属する。オンラインゲームではやってはならない行動である。


ところが、この中間らへんの緑の線が書いてある辺りは人によって(運営会社によって)解釈がわかれる部分である。このオンラインゲームの世界が健全な世界であるためには、自分はこうなっていて欲しい、こうなっているべきだという理想の線引きがある。


自分の考えている線引きが、この図の緑の曲線と完全に一致しているのが望ましいわけである。そのときに初めてその世界に安心して棲んでいることが出来ると私は考えた。


これをなるべく少ない試行回数で検証するには、この境界らしきところの下と上の行動をしてみることである。つまり図で言うと青い☆と赤い☆のすべての行動をやってみて、赤い☆の行動をしたときにBANされ、青い☆の行動をしたときにBANされなければいい。そうすれば、はさみうちの原理により(?)、自分の理想とする曲線が緑の曲線と一致するかが検証できる。


私はこれを、【世界確認行動】と呼ぶ。いま自分の棲んでいる世界が自分が思い描いている世界と同質なのかをなるべく少ない試行回数で確認するための行動である。


このようにオンラインゲームで遊ぶゲーマーは、ときどき無意識的であれこのような【世界確認行動】を行うことがある。つまり、この緑の曲線の境界付近だと思われる行動をすることが、この緑の曲線の存在範囲を確定させるために得られるエントロピー(情報量)を最大にするからである。


そういうプレイヤーは、「これでBANされたらされたでいいわ」などと言いながら、赤い☆の行動を自ら進んで行い、そしてBANされれば、むしろそのことに安堵するわけである。「ああ、この世界は自分が期待する通りの世界であった」のだと。


この行動は、一見するとプレイヤーが自暴自棄に走っているだけのように見えるが、多少のリスクを犯してでも一発逆転したい(ゲーム内で金持ちになりたいだとか、最強の武具が欲しいだとか)という願望以外に、このようにゲーム世界が自分が期待している通りであるのかを検証したいという心理と、また、エントロピーを最大化したいという情報学的な裏付けがあっての行為なのである。


私の場合、BANされたくなかったので、赤い☆の行為はやらなかったが、しかし世界の健全性を証明するために境界線ギリギリにある青い☆の行為は進んでやったわけである。そしたら、運営にBANされたのである。それをもって、ガンホーが糞運営であることを理解して、ここは自分の棲んでいていい場所ではないと悟り、ゲームを引退したわけである。


まあ、その話はともかく、上の考察で出てきた(その世界の健全性を証明するために)「自ら進んで境界線ギリギリの行為をしてしまう」という一見不可解なプレイヤーの行動はきちんと論理的な説明がつくということである。


さて、さきほどの図では、上をEvil、下をGoodと二分したが、上をRisky、下をSafetyと分けることも出来る。Riskyは、さきほどのEvilよりは広い概念で、BANされるようなものばかりとは限らず、一文無しになるだとか、キャラクターのレベルが上がらないだとか、そういうものも含まれる。


このRiskyとSafetyの分類で見たときにもやはりさきほどのような境界に緑の曲線のようなものがあって、「これ以上のリスクを抱えるのは普通駄目だろう」という境界が存在する。


例えば、本対談シリーズで、川上会長がブラウザ三国志をプレイしていたときの話があるが、これはどうだろうか。



ドワンゴが会社ぐるみでハマッた「ブラウザ三国志」。社員が“異様な空気”と口を揃える,当時の様子とは――「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第7回
http://www.4gamer.net/games/089/G008929/20120708005/index_2.html



「僕自身の領地は他の大きな同盟に囲まれていたんですけど放置していました」というのは、ゲーム上、本来、許容できない範囲のリスクのはずである。ところが、それによって同盟国の信頼を得ることが出来、結果として天下統一に結びつくわけである。なんとも心温まる話だ。


逆にこの同盟に囲まれている自分の領地を放置せずにここに手を入れていれば当然、この分だけ自国の戦力が減るので、勝利は遠のいたはずである。そう考えると、天下統一がもし可能だとしたら、同盟からの絶大な信頼を獲得する以外の方法はなかったのかも知れない。だとすれば、これが天下統一できる確率を最大化する上でベストな選択だったと言えるだろう。


つまり、天下統一できる確率を最大化することこそが重要で、そこに付随するリスクはもちろん低いほうが望ましいが、事ここに至っては、それはあまり意味のない尺度なのである。


また、川上会長は「ゲームが長引くと仕事に差し支えるので,裏切られて滅んでも全然良かったというか,それを期待していた」と、ゲーム上からの引退を考えていたことが明かされているが、ゲーム上の引退を本当にしたいならば、本来はリスクを最大にすれば即ゲーム終了で、即引退となるはずである。ところが、川上会長に限らず、引退を考えているプレイヤーは普通はそんな行動を決して取らない。リスクを最大にするのではなく、勝率を最大化しようとするか、あるいは、そのときに【世界確認行動】のようなことをして、そこから得られる情報量を最大化しようとする。


それは通例、アイテムのばら撒きだったり、他プレイヤーへの過度の奉仕だったりするのだが、そうやって、その世界が自分の思っていた世界と一致することを確認し、「いままでこの世界に棲んでいて良かった」と再確認し、また、そのゲームワールドに棲んでいた自分のことを誇らしげに思うのである。


将棋の羽生善治三冠が全盛期(七冠時代)に、「(羽生さんは)悪くなった将棋を進んで駄目にしてしまうような脆さがある」(羽生さんの棋力からすればもっと粘れば逆転もありうるだろうにの意味)と評されることが多かったが、あれは「これで負けるなら、それこそが将棋なのだ」という、羽生さんなりの【世界確認行動】だと考えるのは私の穿ち過ぎだろうか。