エンターテイメントとしての将棋


「XXXは観るものか(試合を観戦して楽しむものか)、(自分で)やるものか」という設問はなかなか興味深い。


「プロレスは観るものか、やるものか」と言えば多くの人は前者だろう。


「野球は観るものか、やるものか」
陸上競技は観るものか、やるものか」
「セックスは観るものか、やるものか」
など、話題は尽きない。


とりわけ「将棋は観るものか、やるものか」 この疑問が長年、私のなかでくすぶっていたのだが、先日、一つの結末に辿り着いたのでそれを今日は書いてみたい。


プロの試合の指し手の意味を理解するにはそこそこの棋力が必要である。NHKの将棋対局などを見ていても、少なくともアマ五級程度の棋力がなければ解説者の言っている意味が理解できない。そういう意味では、ずぶの素人が見て楽しめるものではない。


ただ、将棋人口のうち、このレベル以上の級位者の占める割合はかなり多い。野球で言うと「俺、昔、草野球やってた」とか「俺、昔、キャッチボールをよくやったな」レベルの経験者。大半が該当すると言って良い。


私が常々疑問だったのは、NHKの将棋対局を見て、「棋力が向上するのか」、究極的には「プロ棋士になれるのか」ということだ。


例えば、渡辺竜王。渡辺竜王がプロ四段になりたてのころの棋譜に、向かい飛車に対して一直線に穴熊に囲おうとして大敗を喫する将棋があった。アマ高段者にとって、向かい飛車(3ニ金型急戦向かい飛車)に対して一直線に穴熊に囲えないことは常識であって、たぶん昔の定跡書にも書いてある。私は、渡辺竜王のその将棋を見て、「プロなのにひどい将棋を指すもんだなぁ」と思った。


羽生三冠にしてもそうだ。羽生さんが奨励会時代、圧倒的な勝率で勝ち進んでいて、あまりにも噂になっていたので私は棋譜を取り寄せてひとつひとつ並べてみたことがある。


そうしたら、羽生さんのほうは矢倉でも古い形に組んだりしてて、「あー、こんな組み方したら作戦負けになるのになぁ…。この人、定跡書とか全然勉強してないんじゃないの。」と思ってたら、案の定、そのあと作戦負けになって、「なにが噂の大型新人だよ。てんでド素人じゃん。」と思った。


しかし、その局面から勝つ。勝つ。どんなに作戦負けになってもともかく勝つ。圧倒的終盤力。前人未到の棋神のごとき棋力。「なにこれ。なんでここから勝てるの…!!」「こ、、こいつ、化け物じゃん!!!」 彼の天才性に触れ、本当に鳥肌が立った。


もう一つ例を出そう。ずいぶん前のことになるが、以前、私の将棋友達の仲間内から新四段(プロ棋士)になった人が出たので、その記念パーティをすることになり、そのとき私も呼ばれた。その余興でその新四段になった人による指導対局(多面指し)があったのだが、私の知り合い(アマ五段レベルの人)が平手で指導対局を申し込み、かまいたち(鈴木英春氏考案の戦法)に組んで、普通に作戦勝ちになり、そのまま勝ち切ってしまった。


当時、出版されているほとんどの戦法書をかたっぱしから購入し、愛読していた私からすると「かまいたちをストレートに組ませるなんてありえへんやろ」「これまた弱い、新四段だなー」などと思ったものだが、いまにして思えば、そんなマイナーな戦法を研究するために時間を全く費やさなかったからこそプロ四段になれたのだとも言える。


何が言いたいかというとプロ棋士になったような人はそんなに定跡書なんか読んでないんじゃないかということだ。以前、とあるテレビ番組で羽生さんの少年時代に読んでいた将棋の本棚の写真が写っていたのだが、将棋の本は本当に少なく(三段ぐらいしか棚のないとても小さな本棚の、その本棚のなかのおそらく一段分ぐらいしかなかった)、「よくこれだけしか読まずにプロになれたもんだなぁ」と私はそのときは思ったものだが、あとにして思えば、定跡書なんかそんなに読むことより、プロ棋士になるためにはもっとやるべきことが沢山あるのだ。


プロの将棋指しは結果を残さなければならない。そのためには勝たなければならない。勝つためには未知の局面でなるべく形勢を損ねない指し手を選択する必要があり、そのための力が必要である。定跡の進行通りに進むほうが稀なので定跡を深く、多く知っていてもほとんど勝率には結びつかない。たまに相手の研究手順に嵌って負けることがあってもそんなのは数としてはごくわずかであって、勝率にはあまり響かない。


よって、
詰将棋を多く解くことにより、局面を頭のなかで正確に、そして高速に先まで進める能力を養う。
これが第一である。


・手筋をたくさん覚えたり、局面の形勢判断をなるべく正確に出来る能力を養う
ことは大切だが、手筋も無数にあるわけではないので棋譜を数千局も並べればほぼ出尽くすはずだし、局面の形勢判断もセオリー自体は単純で(駒得・駒の働き・玉の堅さetc…)結局は局面を先まで正確かつ高速に読める能力のほうがよほど大切である。(ある局面を見てその局面で適用可能な手筋を瞬間的に思いつく能力や、指し手を絞り込む能力、指し手の方針を決める能力などももちろん大切。)


その上で、
・自分が得意とする戦型に関して類似棋譜を並べて深くまで研究する
ことによって、勝率が少し上がるかも知れないが、どうせ研究局面にはなかなかならないので勝率に結びつくとは限らない。


こういう観点で見たとき、NHKの将棋対局というのは、
・自分の研究したい局面ではない
・解説がアマ初段程度の人向き
・読みの訓練にならない
棋譜一つ鑑賞するのに90分もかかる
という、観戦することによる棋力向上という観点からは極めて効率が悪いと言えるだろう。


ゆえに、NHKの将棋対局を見て、主にそれにより棋力が向上し、プロ棋士になったという人はおそらく存在しないと思う。NHKの将棋対局は、どちらかと言うとアマチュア、もしくは将棋ファンが観て楽しむためのものであり、それによる棋力の向上というのはほとんど望めない。つまり、それは、野球中継のような、エンターテイメントとしての将棋である。


アマ初段以上の人が、将棋がいまより強くなりたくて、強くなるのが目的でNHKの将棋対局を見ているなら、それは全くの時間の無駄である。そんなことはいますぐやめて、詰将棋を解くトレーニングに励むだとか、自分の得意戦法のプロの実戦譜をひたすら並べたりするほうがよほど棋力向上にとっては有益である。


まあ、NHKの将棋対局を見ている人が多いのは、結局、将棋っていい解説者、いい対局者同士だと見てて本当に楽しいんだな。観戦を楽しむための娯楽としての将棋。そういう楽しみ方があっていいと思う。



以下、将棋を手っ取り早く強くなりたい人向けにお勧め書籍を紹介。



寄せの手筋200 (最強将棋レクチャーブックス) 美濃崩し200 (最強将棋レクチャーブックス)



戦法書よりは、詰将棋や、左の書籍のような終盤力を高めるトレーニングのほうが大切である。詰将棋はインターネットでいくらでも見つかるので、本は要らないかな…。







渡辺明の居飛車対振り飛車 I 中飛車・三間飛車・向かい飛車編 (NHK将棋シリーズ)渡辺明の居飛車対振り飛車 II 四間飛車編 (NHK将棋シリーズ)



級位者向けとしては、基本戦法と基礎的な考えかただけ押さえておけばいいので、左の2冊で十分だと思う。NHKの将棋講座を書籍化したもので、NHKの放送時の台本チェックなどが入っているためか、非常に丁寧でわかりやすい説明になっていて、他の定跡書とは別格である。





現代将棋の思想 ~一手損角換わり編~ (マイナビ将棋BOOKS)



まあ、戦法書のなかでも、糸谷六段(大阪大学大学院文学研究科在学中という異色の経歴の持ち主)の現代将棋の思想 ~一手損角換わり編~ (マイナビ将棋BOOKS)は普通の定跡書とは一線を画するものがある。この本は将棋の思想書、もしくは指し手の方向性を決めるための本とも言える本で、アマ初段〜二段ぐらいで伸び悩んでいる人には是非読んで欲しい。



それ以外の本は高段者以外は読んでも身につかなくて効率が悪いというか、専門性が高すぎるというか、どうせ実戦でそんな局面になるのが稀で勝率には響かないというか…。(そのことに気づいたのは私は比較的最近のことなのだが…。)