ゼビウスに関する音楽的考察


スペースインベーダー」(1979年/タイトー)が発売されて以来、他のゲームメーカーがこぞってシューティングゲームを製作した。そのなかの代表作品としては「ゼビウス」(1983年/ナムコ)が真っ先に挙げられると思う。


スペースインベーダー」の翌年に発売された「ギャクシアン」(1979年/ナムコ)ではなく、「ゼビウス」をここでまず第一に挙げるのは、「ゼビウス」の売上が「スペースインベーダー」に次ぐ売上を記録したという理由である。


要するに「ゼビウス」は間違いなく大ヒット作であり、ゲーム性のみならず音楽性も高く、当時の時代背景を色濃く反映したものになっているのではないかということで、「ゼビウス」に関して少し音楽的な考察をしてみたいと思う。


まず「スペースインベーダー」のほうのBGMだが、たぶん、次のようなベースラインになっている。
※ 私の耳コピなので間違っているかも知れません。




シ♭→ラ→ソ→ドのようになっているが、これが延々と繰り返され、そしてテンポが速くなっていくため、だんだん「ド→シ♭→ラ→ソ」の下降ラインのみが耳に残る。


「ゲーセン」最強読本 ―永久保存版名作ゲームBEST100


スペースインベーダー」は開発時は二拍子であったと言われている。(出典 : 『「ゲーセン」最強読本―永久保存版名作ゲームBEST100』(asin:4796635793)の開発者の西角友宏氏へのインタビュー記事。)


要するに開発時は2音が延々と繰り返されるBGMだったわけだ。当然ながら社内評価が悪かったらしく、それを上の譜面のように4音を延々と繰り返す形に変更した。社内では依然として酷評されていたらしいが、結果的には四拍子だからこそのヒットだと言われている。


一方、ゼビウスのほうのBGMは以下のようになっている。
※ 私の耳コピなので間違っているかも知れません。




コード進行的には、CM7→C7→FM7→Fm7か。C7→FM7は下属調への転調っぽく聴こえる。(key of FにおけるV7→Iなので) Fm7のところは普通はG7なんだろうけど、ここをFm7にしておくことによって、ベース音をずっとドの音に固定できる。



上図のようにベース音をずっとドに固定して、最高音をミに縛っておいて(そして、その真下のドも断続的に鳴らしておいて)、内声だけ変化させる。


内声は、「シ→シ♭→ラ→ラ♭」と変化している。他の音を固定しておいて一声だけを動かす技法のことを音楽用語では「クリシェ」と呼ぶ。ここでは半音のクリシェラインになっている。これを音楽用語では「クロマティッククリシェライン」と言う。


上図では、ミと高いほうのドのところを「sporano pedal point」と書いたが、ずっと鳴っているわけではないので厳密な意味でのペダルポイントではない。ただテンポが速いのでペダルポイント的な何かとみなしていいと思う。


ともかく、音楽のことがわからない人も、ベース音とトップノートを固定しておいて安定感を出しながら、内声をちょっとだけ下方向に動かしていくという技法が使われているということがわかればまずはオッケー。話を先に進める。


これが実際どう聴こえるかというと、ずっと聴いているとこのクリシェ部分のみが顕著に聴こえる。人間は変化する音にだけ注目する能力が自然と身についているからである。


結局のところ、ゼビウスのこのBGMは、「シ→シ♭→ラ→ラ♭」という下降ラインしか意識には上ってこないことになる。これがゼビウスのBGMの本質的な部分である。そうみなせば、さきほどのインベーダーゲームの四拍子による下降ラインとの構造的な類似性を見て取れる。


音楽理論と言えばコード進行だろjk」と思っている人も多いかも知れないが、なめらかに接続するコード進行というのを考えたときに、1つ目のコードの構成音のうちのいくつかの音は2つ目のコードでも持続していて(固定されていて)、1つ目のコードのうちの1音だけわずかに動く(例えば半音下降)となめらかで自然に聴こえるという聴覚的な(?)原則がある。まあ、いくつもの音が同時にあちらこちらに動くよりは、1つの音だけがわずかに動くほうが変化は少なくて自然に聴こえるのは当然だろう。


他人の曲をコード分析をするとき、たいていはそこに何らかのコードが割り振り、「コード進行的に考えてここはこう解釈できる」みたいな話になるのだが、しかし作曲家の意図としては単に1音だけ静かに動かしたかったにすぎない場合もある。そういう進行に対して、勝手にコードを割り振ってあれやこれや考えても作曲家の意図とは違ったものになってしまう。


ともかく、クリシェによって「自然でなめらかなコード進行」に聴こえるようになっているというところまでわかってもらえればここでは十分である。


ところが、ずっとこれだけでは音楽としては退屈なものとなってしまう。(半音)下降のクリシェは極めて自然な進行だが、「動と静」で言えば静。ずっと静だと音楽的につまらないのだ。


そこで、この技法がゲーム音楽(特に「スペースインベーダー」や「ゼビウス」)として使われたときにどういう効果をもたらすのかについてもう少し突っ込んで話をしていく。


わかりやすい例として、たらいまわし関数(竹内関数)で音楽生成をしてみた記事を挙げる。


竹内関数で音楽生成
http://d.hatena.ne.jp/aike/20111112


たらいまわし関数(竹内関数)とは次のような再帰的に定義された関数で、プログラムのベンチマークとしてよく使われる。



※ 上の動画はたらいまわし関数で生成された音楽


たらいまわし関数で何故音楽が生成できるのか、何故音楽っぽく聴こえるのかについて、原理的な種明かしは次の記事に詳しい。


竹内関数が音楽的に聴こえる理由について考えてみた
http://d.hatena.ne.jp/aike/20111115



要するに「クリシェ → 停滞 → 調性切替 → クリシェ → 停滞 → 調性切替 → クリシェ → ……」が繰り返されることが音楽的なうねりとなって心地良く聴こえるというのだ。


クリシェは「静と動」で言うと静の部分、そして停滞がきて(より静になって)、調性切替のところが「静と動」で言うと動の部分。このように、静と動を繰り返す構造になっている。この停滞からの調性切替には、爆発にも似た開放感があるのではなかろうか。


さて、そう考えると「スペースインベーダー」には途中でUFOが出てくる。これが「静と動」の動の部分ではなかろうか。あるいは、テンポが徐々に速くなっていくこと自体が静から動への移行とも取れる。


ゼビウス」だとアンドアジェネシスが出てくる。アンドアジェネシスが出てきているシーンではBGMは通常のBGMに、SEとしての轟音が加わる。この部分が「静と動」の動の部分ではなかろうか。また、アンドアジェネシスの出現とともに雑魚が出てきて、それを倒すSEも音楽の一部とみなすことが出来ると思うし、バキュラや敵を雑魚を倒したときのSE音も音域的には、通常のBGMで使われている音域付近であり、これが上記の「調性切替」っぽい小さな音楽的なうねりを引き起こしているのではないかと思う。


Xevious (Arcade) ノーショット (Without firing a shot) 2/2

※ 上記動画はゼビウスのショットを一切撃たずに1周クリアするという趣旨のもの。動画の5:06〜はサウンドトラックの音源がかぶせてあるんですかね。よく知りませんが、素晴らしいアレンジですね。


なんかだらだら書いてしまったが、「スペースインベーダー」と「ゼビウス」では、構造的な類似を見て取れ、そしてこれらのゲームではSE音を含めて全体として一つの音楽になっているのではないかというのを結論としてこの記事を終わりたいと思う。