キー(調)によって想起される感情が異なるのか


カラオケで、曲が歌いにくいときにキーを半音上げたり下げたりするだろう。ハ長調の曲は半音下げるとロ長調になる。


では、ハ長調ロ長調で想起される感情が違うのか?


別にキーを半音上げようが下げようが、悲しい部分は悲しいし、サビの盛り上がる部分は盛り上がるはずであって、キーの上げ下げで全く違う曲になったりはしない。作曲経験がない人でも、音楽的経験が乏しい人でも、そんなことは自明だと思えるだろう。


ところが世の中には、調によって、想起される感情が異なると主張する人たちがいる。それも音楽的経験が乏しいどころか、不思議なことに音大出ているような人やプロの作曲家ですら、そう主張する人が結構な割合で存在している。


例えば、Wikipediaト長調のところを見てみよう。



なんだと…。「甘い喜ばしさ」だと…。


次にニ長調を見てみよう。



またもやシャルパンティエとマッテゾンが出てきて何やら言っている。



きっと当時の作曲家は特定の感情を表すのに特定の調を好んで使ったから、絶対音感のある人は、その調とその曲とが頭のなかで結びついているんじゃないかと思う。


例えば、ニ長調ならヘンデルハレルヤ・コーラス」やベートーヴェン「田園ソナタ」だろう。だから、明るい、喜びを表す印象を持っている人が多いのではなかろうか。


また、最初に出てきたト長調のほうは、シューベルト「野ばら」やブラームス「セレナード」あたりが頭のなかにあるんじゃなかろうか。


それで、まあ、絶対音感があって、かつ、そういう古典に慣れ親しんできた人は、特定の調と特定の感情とが結びついているというのは十分ありえる話だとは思う。


しかし、それは後天的な学習によって行われたものであるわけだし、曲が星の数ほど存在する現在において、古典だけ聴いて育ったような人のほうが稀なわけで、現代の作曲家は、調によって特定の感情を想起すると考えるべきではないと思う。



ついでに言うと、このWikipediaの調によって特定の感情を伴うかのような記述は、とても誤解を招くので削除して欲しい。注釈なしに書くべきことじゃないと私は思う。また、このWikipediaの記述を典拠にして、「調によって想起される感情が違うんだよ」とか偉そうに俺様に言ってくんな。しばくぞコラ。



あと、さらなる興味のある人は↓のジョン・パウエル博士の記事を読んでくだされ。


どうすればプロ級の演奏家になれる?絶対音感の正体とは?「響きの科楽」著者ジョン・パウエル博士が明かすあなたの知らない音楽の秘密
http://diamond.jp/articles/-/13557




■ 2011/8/22 22:00追記


はてブで教えていただいた次の記事が素晴らしい。要約すると、楽器ごとに特性があって、特定の調だと演奏しやすい楽器があるので、作曲家は調性を選ぶときにそういうのも考慮するという話。


作曲家はどうやって「調性」を選ぶのか?
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2009/07/post-68e5.html



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