【ゲームデザイナー】永パを巡る戦い【必読】


■ 永パについて考えよう


最近、私はiPhone/iPadでいろんなゲームをしてみて気づくのだけど、本当、海外の人の作ったゲームはゲームバランスについてきちんと考えられていないことに腹がたつ。


簡単に永パ(永久パターン)が見つかる。この作っている人たちは本当、永パのことが何もわかっちゃいない。国産のゲームにおいても、最近の製作者は本当、何もわかっちゃいないことが多い。



今回は、永パとは何なのか、永パが何故いけないのか、永パはどうやれば防げるのかについて少し書いてみることにする。


■ すべてはインベーダーゲームから始まった!



もともとゲーム史を紐解くと、国内でのテレビゲームはインベーダーゲームに始まった。具体的に言うと、株式会社タイトーが1978年に出した「Space Invaders」とそのクローン(他社製の類似商品・模倣品)の文化だ。



このインベーダーゲームは、最初喫茶店に置かれた。テーブルの代わり(食卓的な意味で)にもなり、コーヒーが来るまでの間の暇つぶしにもなるし、一石二鳥だったわけだ。


話題が話題を呼び、インベーダーゲームをするための行列まで出来る始末で、インベーダーゲーム専門店が誕生するのも時間の問題だった。いまで言うUFOキャッチャー専門店みたいな位置づけだと言えばわかりやすいだろうか。



インベーダーゲーム店は“不良のたまり場”(死語?)と化し、全国のあまたの学校で「インベーダーゲーム店への入室を禁ずる。」という校則が追加された。そのあと10数年もして「インベーダーゲーム?いまどきインベーダーゲームなんてねーよ」という時代になってもなおそのような校則が残り続けていたことは記憶に新しい。


パックマンで深刻化した長時間プレイ


さて、そのインベーダーゲームが登場した2年後(1980年)にナムコ(現バイダイナムコゲームス)が「パックマン」を出す。



しばらくすると、「パックマン」が9面以降255面まで延々と同じパターンで(決まった移動ルートを辿るだけで)クリアできることが発見される。そんなプレイが可能なのは一部の限られたゲーマーだけであったが、1コインで長時間遊べてしまうということが店側の売上に深刻なダメージを与えるようになってきた。


ただし、これはこの数年後にいろんなゲームで発見される単純な「永パ(永久パターン)」とは性質が異なり、「実力永パ」(実力により、エンドレスに遊べる)と(のちには)呼ばれた。



店側はゲーム基板(当時10数万円)をゲームメーカーから購入しているわけで、月に1つのゲームで数万円の売上がなければ店の経営が成り立たない。1コインで一日中プレーする連中が現れるとそのゲーム機は1ヶ月に数千円の売上しかなく赤字なのである。パチスロで言えば、パチプロに攻略された機種みたいなものであり、店に置いておくだけで赤字になるわけだ。


だからそんな古くなったゲーム基板は安くで処分した。駄菓子屋にはそういった型落ちのゲームが置かれることになる。俗に言う“駄菓子屋ゲーセン”の誕生である。


このような理由でインベーダーゲーム店の店側としては、長時間プレイに対してひどく神経を磨り減らした。店側にしてみれば「長時間プレーをするプロのゲーマーお断り」とでも張り紙をしたい気分であったが、パチンコ店じゃあるまいし、そうもいかなかった。


そんな事情なので、店側からゲームメーカーに対して「長時間プレイできないようにして欲しい」と言う強い要望があった。ナムコは早い段階で「パックマン」という長時間プレイ可能なゲームを出してしまっていたから、その風当たりは非常に強かったと想像される。ゆえに、ナムコは、このあと長きに渡り、長時間プレー防止、永パ防止に対して、真剣に取り組まざるを得なかった。


私が思うに、ナムコは「パックマン」への反省の念から、このあとどの他のゲームメーカーよりも先進的で、どの他のゲームメーカーよりも高度な、高いレベルのゲームデザインに対する知識を育んだ。


このあと10数年に渡り、トップゲーマーの間でも、「ナムコのゲームはよく出来ていて、永パはなかなか発見できない」というのが定説だった。



だから、永パと永パ防止の話は当時のナムコのゲームに絞れば、だいたいの要点は押さえられる。



ナムコのゲームが実力永パが可能であった理由


パックマン」で長時間プレーがまずいことは理解したナムコであったが、実力永パを無くすという考えにはまだ至らなかった。なぜなら、エンドレスにステージが続くようにしたほうがゲーマーに長い期間ゲームを遊んでもらえるからだ。



例えば、4ステージで終わりだと、4ステージを1コインクリアできるようになると大半のゲーマーはそのゲームをやめてしまう。そうするよりは難度が等比級数的に上がりながら同じステージが繰り返されたほうが(ゲームの製品寿命的には)まだいい。


この例として、「ギャラガ」(1981年)、「マッピー」(1983年)、「ゼビウス」(1983年)、「ドラゴンバスター」(1985年)などが挙げられる。


ただし、難度が無限に、等比級数的に上がり続けるようにしてしまうと、開発現場でゲームバランスの調整が非常に困難になる。そんな熟練したプレイヤーの域になるまで開発者がプレーし続けるわけにもいかない。さじ加減が難しいのだ。


マッピー」では16面まで行けば17面〜32面までは1〜16面と同じステージ構成だった。ただゲームスピードが速くなった。33〜48面はさらに速くなった。49面以降は33〜48面のスピードのままだった。それ以上速くし続けるとゲームにならない可能性があるから、それ以上のことはしなかったのだろう。


ドラゴンバスター」では13ラウンド目からは9〜12ラウンドが繰り返された。ステージ100になるとラウンド表示は「GIVE UP」になるがその後も続行して遊べた。


■ 永パ防止キャラが永パ防止になっていない


ところが、「ドラゴンバスター」においては、実力永パでは無い、普通の永パが発見される。


ドラゴンバスター」にはケイブシャークと言う永パ防止キャラが出現する。永パ防止キャラとは、プレイヤーが同一ステージに長くとどまり、ステージを進行させずに雑魚だけ倒してエンドレスに点数を稼ぐのを防止するキャラクターのことである。


ところが、このケイブシャークに至っては、移動パターンが決められていたので、これをパターン化して倒すことが出来た。おまけに点数まで入るので、永パ防止のはずが、永パを防止できない上に点数効率アップにまで貢献するという皮肉なキャラになってしまった。


「永パ防止キャラに点数をつけてはならない」というのはこのときの教訓から誕生した。


この教訓は、このあとのナムコの「バラデューク」(1985年)や「妖怪道中記」(1987年)に生かされることになる。


ただし、「バラデューク」においてはこの永パ防止キャラ(青色の鉄アレイみたいなキャラ)も移動軌跡が一定であったため、ボスステージなどでボスを倒したあとに天井に張り付いて、倒し続けることが出来た。その間に出現する雑魚を退治することにより半永久的に点数を稼ぐことが出来た。



永パ防止キャラを出現させて永パを防止するには永パ防止キャラがパターンにハマらない(避け続けたり、倒し続けたり出来ない)ことが大前提になる。しかし、ナムコは「未来忍者」(1988年)でも同様のミスを犯してしまう。


あと「マッピー」の永パ防止キャラの「ご先祖様」というのが出てくるのだが、ご先祖様をハメるバグ技があって、ある場所に固定しておけた。(私はマッピーはあまりプレイしていないのでよく知らない。)


このように、ナムコをもってしても永パ防止キャラで永パを防止するのはなかなか難しいというのが結論であり、このころからタイムオーバー型のゲームがぼちぼち出現する。



しかし時間が来て即座に無情にタイムオーバーでゲームが終わるよりは永パ防止キャラを避けながら少しなら続行して遊べるというゲームデザインになっているほうがスリルがあるし、面白いと思えるゲームが多いのも事実である。



■ 永パは何故いけないのか?


次に、単純な永パ(以下、単に「永パ」と書く)が何故いけないのかを考えていこう。


永パのいけない点は、実力永パとは違い、それほど実力がなくともエンドレスに遊び続けられてしまうところにある。永パによりスコアが増えるタイプのものは最悪で、ハイスコアに実力が反映されないため、ハイスコア争い自体に意味がなくなってしまう。


また、スコアが増えるのでこのとき残機がエクステンドする(残機が増える)ゲームにおいては残機を増やし続けられるので、実力がなくとも残機がいっぱいあり、無料コンティニュー祭りのような状態になる。



つまり、実力永パと単なる永パとは全く性質が違うのである。



また、実力永パに関して特殊な例としては、ステージがエンドレスな構成ではないのに、実力永パが成立する場合がある。例えば、「ドルアーガの塔」(1984年)、「源平討魔伝」(1986年)である。両方ともzap(最後のほうのステージで、クリア条件をわざと満たさず前のステージに故意に戻されることによってゲームを続行する)を利用した実力永パだ。



とまあ、ナムコの初期のゲームの永パの例をいくつか挙げたが、比較的永パに神経を尖らせていたはずのナムコですらこの有様で、他のゲームメーカーに至っては、まったく話にもならない。



全国スコアが出せたと思ってハイスコア申請をしても「永パ発覚につき(そのゲームのハイスコア)集計打ち切り」というのは私は何度も経験してきた。


これについても詳しく書きたいところだが、私自身も全国スコアラーだったこともあり、一冊の本が出来るほどの分量がある。今回は割愛したい。



まあ、ハイスコア集計が打ち切られるとゲームをする楽しみみたいなのも半減するので、私はそのゲームをあまりやらなくなる。私のようなスコアラーではなくとも、永パが見つかってエンドレスに遊べるようになれば、そのゲームに使うお金も減るはずで、ゲーム自体の製品寿命や売上に関わってくるはずだ。



■ まとめ



日本のゲームメーカーはこのようにして永パをいかにして回避するかということに血肉を注ぎ、ハイスコアラー達は、そのゲームメーカーのゲームデザインを超越することで永パを導いてきた。


それはゲームメーカーとハイスコアラーとの知恵くらべであり、その知恵くらべのなかでゲームメーカーとハイスコアラーは互いに“永パ”のノウハウを蓄積して行ったわけである。



そういう永パの文化に触れることなくゲームデザイナーになり、ゲームを作っている人はある意味不幸だ。何がどうなれば永パが成立するのか、その基礎すらわかっていないのだから。



たぶん海外にはこういう永パ文化は無いのだろう。iPhone/iPad向けのゲームで、ゲームの製作者が意図しないような方法でハイスコアを叩き出すのはいつも決まって日本人だ。私に言わせれば「意図しないほうがどうかしている」のだが、それは私がたぶんこういう永パ文化のなかで育ってきたからそう思うだけなのかも知れない。


■ 追記(2011/06/18 2:30)


レインボーアイランド(タイトー 1987年)の永パ発覚のときに、ハイスコアラーの間で使われた“実力永パ”というジャーゴンは、「理論上は可能だが、本当に出来るのかその実現性が怪しく、実力があればもしかして永パとして成立するかも」の意味でした。しかしその後、「出来るんだから、なんにせよ永パは永パだろ!」という考えが広まり、この概念自体あまり意味のないものとみなされ、この言葉自体あまり使われなくなりました。


そこで、私のまわりのスコアラーの間では、「実力永パ」という言葉を普通の簡単に成立する永パと区別して「実力でエンドレスに遊べる」という意味に使うようになりました。今回の記事のなかでは「実力永パ」という言葉をそういう意味で用いました。これは本来の「実力永パ」(いまどきこの言葉を使っているスコアラーなんていないだろうけど…)とはニュアンスが少し異なるので、どこかで使う場合は注意してください。