エキサイト少年時代


私が小学生の高学年ぐらいのころ、ファミコンが空前のブームになり、クラスの男子のほとんどがファミコンを持っている状態になった。いよいよ男子で持っていないのは、私と、クラスではもう一人だけとなった。


私はマイコン(PC-6001)を買ってもらう時に「他には何もいりません」とおかんに誓約書を書かされたので買ってもらわなかった。おかんは、クラスで過半数以上が持っているなら持っておかないと村八分にされるので買うべきだと主張したが、私が頑なにそれを拒んだのだ。


ファミコンを持っていないもう一人の男子は、母子家庭で生活保護を受けていた。私の友達は彼しかいなかったのだが(ファミコンを持っていない&薄気味悪いマイコン少年だったのですっかり村八分にされていた)、まあ、彼について多くは語らないでおこう。


そんなわけで、ファミコンがしたくてしたくてたまらなかった私は、ニチイ(現:サティ)のおもちゃ売り場の展示してあるファミコンの前で一日中遊んでいた。学校が終わると他にも小中学生が来て遊べなくなってしまうので、学校を休んで開店同時にニチイに行くのである。


展示してあったゲームは、エキサイトバイクと、カセットビジョンの木こりの与作だけである。与作のほうは、1日で飽きたのでそのあと一年間ずっとエキサイトバイクばかりやっていた。


何故、エキサイトバイクしか無かったのかと言えば、たぶん、展示用のゲームは店側の買い取りだからである。小さなお店だったので、何個も展示用のゲームを用意できなかったのだろう。必然的に私はエキサイトバイク少年となった。


エキサイトバイク少年は、すっかりおもちゃ売り場の店員と顔なじみであった。顔なじみと言うか、「また、あいつ来てやがる」と言う目で毎回見られたが、エキサイトバイク少年はそんなことは全く気にもとめなかった。


そして、ある日、そのゲーム売り場で大会があった。ゲームはもちろん、エキサイトバイクである。エキサイトバイク少年としては、参加しないわけにはいかない。速攻エントリーした。エントリーすると、「また、こいつか」という目で見られた。


大会はトーナメント方式で進み、これまた必然的に私が優勝した。店員の顔が引きつっているのがわかった。


優勝の賞品はエキサイトバイクファミコンのカセットだった。それも一年間、店で展示に使っていたものだ。次の日からその売り場からエキサイトバイクは消え、ファミコンの繋がれていたテレビモニターにはその日から何も映らなくなった。それ以降、エキサイトバイク少年がそのおもちゃ売り場に足繁く通うことはなくなった。


私としてもファミコンを持っていないのにエキサイトバイクをもらっても仕方がないのだが、売る気にもなれず後生大事に持っている。


そもそも、エキサイトバイクの大会で優勝できるほどエキサイトバイクをやりこんでいる優勝者に、エキサイトバイクを賞品として渡すのはどうなんだろう。このおもちゃ売り場はよっぽどエキサイトバイクがどっか行って欲しかったんだろうな、…私とともに。