対象a

対象 a

ひぐらしく頃に』のアニメの第二期も第五話で厄醒し編が終わったので、第二期のED(エンディング曲)について簡単に考察しておく。このシリーズは音楽に恵まれていて、今回もとても良い仕上がりである。

ひぐらしのなく頃に解 ED 「対象a」/anNina [高画質]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm568697


ラジオ「anNina、対象aひぐらし解ED)について語る」7/26
http://www.nicovideo.jp/watch/sm762572


この「対象a」というのは言うまでもなく、精神分析家のラカン(Jacques Lacan)の用語である。この'a'は「えー」ではなくフランス語読みして「あー」と発音するのが正しい。


ときどきラカンの日本の解説本では「a」ではなく「α」(アルファ)と印刷してある粗悪なものもあって(例→ラカン理論 5つのレッスン)、「対象α(アルファ)」だと信じてしまっている人がたくさんいるのはなんとも嘆かわしい。もちろん原書ではこの部分「l'objet a」とちゃんと書かれている。


ラカンは、対象aという概念をアンティゴネと関連して練り上げた。

クレオンは、反逆者である彼の屍を葬ることを禁じるが、アンティゴネは、自ら城門を出て、市民たちの見ている前で、自らその顔を見せて、兄の死骸に砂をかけ、埋葬の代わりとした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B4%E3%83%8D

アンティゴネには、このように反逆者である兄を埋葬さえさせてもらえないシーンが出てくる。ひぐらしのEDにある「あなたの亡骸に 土をかける それが禁じられていたとしても」だとか「どうして罪があるのだろう どうして罰があるのだろう」というのは、もちろん、この部分であり、この文脈に即した意味である。「どうして兄を肉親であるこの私が埋葬さえさせてやれないのか、どうしてそのことが罪であり罰せられることなのか」と問うているのである。


また、対象aというjargonに即して解釈すれば「純粋なまなざしの 快楽には 隠し切れない誘惑があった」というのは「純粋な(あなたからの)まなざしの(私に呼び起される)快楽には、(私には)隠し切れない誘惑があった」の意味であることは明白だ。


ただし、以上の文脈を踏まえずにこの歌詞だけ聴くと「(あなたへの)まなざし」であるように聞こえる。あなたを直視することが快楽であり、だけど耐えがたい誘惑があって、そのことがどうして罪に問われるようなことなのだろう?という意味のようにとれる。このようにわざとmisleadingさせたいという意図があるように思う。


この歌もアンティゴネもそしてアニメ第二期の第一話も既に被埋葬者が死んでいるというところから始まっていることからもわかるように、これらのなかで共通点を探したり、アニメの内容に即して、この曲を解釈しなおすのは面白いだろうが、私はそうすることにあまり意味を感じないし、長くなってきたので今回はここまでにしておこう。