ふじっちょ

yaneurao2007-05-01


子供のころ学校の遠足に行くといつも一人だけ下りの坂道で反対側を向きながら降りてくる同級生がいた。彼の名は藤井だった。皆からは「ふじっちょ」と呼ばれていた。


私を含む何人かの少年たちにとって下りの坂道とは、スキップしながら降りることで高速移動が可能となる装置であった。


それなのにふじっちょはスキップすることによって風を切る快楽を味わうどころか、山の頂上を見据えながら坂道を下るという反社会的とも思える行為を繰り返し、同級生から「なんでそっち向いて降りるのん?」という質問攻めに合うと決まって「このほうが楽だから」と言ってのけた。もちろん、その場に居合わせた誰もがふじっちょの言葉の意味を理解できなかった。


あれから20数年の歳月を経て、私は山登りをした。とは言っても登りはしんどいので私はバスで頂上まで行くことにした。


30分ほどかけてバスで頂上まで到達するとそこから何をするわけでもなくおもむろに元来た場所に向かって降り始めた。気分はまるでワールド8-4から始まるスーパーマリオだ。


20分ぐらい下り続けると足首が痛くなった。「なんでい、俺の足は欠陥商品か」と思った。そこからゆっくり歩き続けたのだが、足首の関節がズキズキしだしてたまらなくなった。もう一歩も歩けない。このままでは日が暮れてしまう。そしてやがてはのたれ死んでしまうだろう。アレ・サンプル(aller simple:片道切符)という仏語が脳裏に去来した。ああ、どうしてくれよう、どうしてくれよう…。


そんなときに突然ふじっちょの言葉を思い出した。「もしかして、反対側を向きながら歩くと痛くないのかも?」それは私にしては大胆すぎる仮説であったが、ダメ元でやってみたところ、あれほど痛かった足首が嘘のように痛くないのである。


少年のころふじっちょを理解してやれなかった自分の不甲斐無さと、そのふじっちょのお陰で死ななくて済んだのだという感動と、足の心地よい麻痺感と、これで帰れるのだという希望とで私のヴォルテージは臨界点にまで達し、反対側を向いて高速に坂道を下りながら涙を流して「ふじっちょー!!!」と咆哮ほうこうした。


この姿ははたから見れば紛れもなくキチガイそのものである。通報されなくてホント良かった。