ネットラジオで話題に


Web R@dio Station“くりらじ” 第24回目 日本の開発者列伝 Windowsゲーム界隈では神と崇められているやねうらお氏(id:otsune:20050925:p3さん経由):

http://www.c-radio.net/20050924/devnote.html


ワクワクしながらクリックしたら前半10分ぐらい私の話題があって、あとは雑談ですたorz..


ちょっとひなた先生の話題があがっていたので、以下、ひなた先生と美咲本の物語構造について簡単なネタばらし。


私がSoftwareDesign誌に掲載している「ひなた先生」の連載は凄腕のプログラマのひなた先生が出てきて難しいことをチョチョイと教えちゃう!ような展開ではなく、大学の情報工学科を出てきた新入社員ケンイチ(ところが、想定している読者の技術レベルよりは遥かに格上)が、頭をめいいっぱい使って考えたことをあさっり否定する上司の早井先輩が居て、その早井先輩の遥かかなた、言ってみれば雲の上の存在である「ひなた先生」が居るという構図である。


つまり、読者は、
・「自分は新入社員であるケンイチにすら勝てないのか!」
・「その(自分の勝てない)ケンイチがめいいっぱい考えて出した成果を見た瞬間にあっさり否定する早井先輩」の存在
に、二度打ちのめされる。そして、その早井先輩のさらに格上(ひなた先生)が存在するという事実に読者は驚愕するのだ。


実際は、(客観的に見れば)早井先輩は相当優秀なプログラマであり、彼よりはるかに“格上”であるひなた先生の技術力というのは私ごときの力では表現不可能で、ひなた先生は実際にはケンイチに難しいことは何一つ教えてくれないのだが..。


このような二重の安全性によって、ひなた先生の立場をprotectしておき、物語上、不可侵の領域を作り出す。そのひなた先生がケンイチに優しく教えてくれるので、ケンイチはひなた先生に惹かれる(≒惚れる)のだが、神存在であるひなた先生にはどうやっても到達できない。そこにこの物語の残酷さとおかしさがある。


メタフィクションと脱構築
一方、こういう視点で捉えれば、実は美咲本も同じ物語のスキームを持っていることに気づく。


すなわち、駄目な兄貴(最初は読者と同等か読者より格下)が、切磋琢磨して、わずか数ヶ月のうちに急成長を遂げる。物語後半部分の兄貴は、もはや駄目な兄貴ではなく、想定している読者レベルより遥かに格上。それゆえ美咲本に関して言えば「前半は簡単だが、後半置いてけぼりを食らう。萌え本として失格」というような書評も無くはないのだが、これは私の意図したことである。


そして、読者より遥かに格上になった兄貴よりさらに桁違いに格上の存在である美咲、その美咲におしりぺんぺんしちゃうほど格上のウサギのぬいぐるみの格好をした師匠。実際には、このウサギがどれくらいのスキルを持っているのかは物語中では一切触れられていない。(これは、ひなた先生の技術レベルが物語上で表現不可能なのと同じ理由による)


フィクションの機構 (未発選書 (第1巻))
このように、ウサギを読者の到達不可能な地点に置いておき、ウサギに駄目兄貴をボロクソに批難させる。この駄目兄貴は、読者の化身か、少なくとも読者が敵わない存在である。しかし、その結末では、物語上は絶対神に位置付けされているウサギが駄目兄貴の存在を許容しはじめるのだ。(だからここに一種のカタルシスが生まれる)


この部分は、言わば「神との結婚」を意味していて、仮に、美咲本と「ひなた先生」が物語として同等の構造を持つならば、最後はひなた先生とケンイチは結ばれることになるはずなのだが..。(今後、「ひなた先生」がどういう展開になるかは読者のお楽しみとしてとっておこう)