学力と知能は反比例する?

私の手は、普通の人よりひと回り大きい。子供のころ、ことあるごとに指の関節を鳴らしていたので、それがせいで肥大化したのかも知れない。おかげでピアノをはじめたころ、なまじ指が届いてしまうがために、指の運びが上達せず、そのわりにはぎこちない指づかいで(ある程度)難しい曲が弾けるという状態が続いた。もちろん、そのあとそれ以上の難しい曲がどうやっても弾けないという、ひとつの壁にぶち当たってしまうことになるのだが。


これと似たようなことが身近にある。


たとえば学力。学校の勉強があまり出来ないのに知能だけ高いという人が居る。私もIQテストの数字は飛びぬけて高いくせにお世辞にも学校の成績はあまりいいほうではなかった。数学と英語を除けば他の科目は平均レベルだったと記憶している。私は筑波大学のAC(id:softether:20041108#p1)と共通するところが多い。


思うに、いまの学校の成績はほとんどが記憶力で決まる。受験にしても短時間での勝負となるから、考えるというよりは反射的に物事を想起する力のほうが問われる。それは知能とは無関係ではないと思うけれども、実社会においては、制限時間はもっと長くて、そのなかである程度の難問を解決するような能力のほうがずっと大切になる。こういう能力は記憶力の悪い人のほうが長けているという意味がある。


記憶力のいい人は、わざわざ語呂合わせにしたり、覚える量をはしょろうとしたりはしない。そんなことをしなくても、砂漠の砂が水を吸収するがごとく自分のなかに取り込んでしまうからだ。だけど、それは時として弱点となりうると思う。―――ちょうど、手の大きい私が難しい曲を弾けなかったように。