みっつ目は自分は呪われたプログラマであるということ(9)

結局、おばあちゃんに買ってもらったのは、PC-6001だった。買ってもらってからというもの毎日まいにち、BIOSを解析で遊んだ。BASICがマシンコード上で実現されているというのが面白くて面白くて仕方なかった。


学校には行っていないのでもう朝から夜までパソコン三昧で食事も一日一食で、その一度のご飯すらパソコン(PC-6001パピコンという愛称があった)の前で食べるという徹底振りだった。


当時、NEC系の雑誌は「PCマガジン」と「Oh!PC」とがあって、前者はホビー系、後者はビジネス系という感じで、必然的にPC-6001の記事の載っている「PCマガジン」を購読することになった。


そのなかでもPC-6001BIOS解析の記事が好きだった。記事の内容が自分が解析したものより先を行っている感じがした。まあ、当時小学生なわけで、sqr(平方根関数)にせよ、sin,cosにせよ、ニュートン法テーラー展開で求めていると言われても名前すら知らなかったのでそういうのが新鮮に映ったのかも知れない。*1


とりあえず、BIOSの解析をする日々が3ヶ月ほど続いて、そのあと小学4年生ぐらいのときにマイコンBASICマガジンにいくつかゲームを投稿した記憶がある。すべてread文で16進数データを読み込んで、poke(メモリに書き込み)してexec(マシンコードを実行する)だけのBASICマガジンをなめきった作品だ。まあ、それは当然のごとく没になるわけだが、子供なのでそのへんの大人の事情というのがてんで理解できていなかった。あまり人の都合とか考えることの出来ない、本当になさけない少年だったのだ。


小学4年の夏。あまりの惨状を見かねた母親が、私を精神病院に連れていくことになる。(つづく)

*1:そのライターの人は、実はコンピュータ将棋関係の人で、その後、その人に手紙を書くことになるのだが、それはもう少しあとの話だ。