みっつ目は自分は呪われたプログラマであるということ(6)

かすかな記憶を頼りに1978年〜1984年の簡単な年表を作ってみた。


・1978年
電卓戦争の終焉。年末にSHARPからはMZ-80K/C(Kは組み立て式のKだろう。MZ-80CのCはカセットのCだったか?グリーンディスプレイでデータレコーダと一体型になったのがMZ-80Bだった)が発売される。グリーンディスプレイというのは、緑が目に優しいというのに基いて作られたのだが、光の緑は目に悪いことがのちに発覚する。


・1979年
NECからPC-8001が出る。平安京エイリアンギャラクシアンはこの年だ。ゲームセンターあらしがブレイク。


・1980年
ムーンクレスタ、ラリーXが出る。ゲーム業界に火がつき始めたころだ。


・1981年
NECからPC-6001PC-8801が発売になる。PC-6001は16KBのRAM、そこに別売りの拡張RAMカートリッジを足すと32KBもRAMが使えちゃうのだ。ちなみに、このカートリッジが、ファミコンのカセットよりデカイ。PC-6001は、このころテレビ局が天気図とかを描くのに使っていた。ニュース番組の後ろに置いてあるPC-6001に凄く違和感を覚えた。

ギャラガドンキーコングボスコニアンニューラリーXが出たのもこの年だ。


・1982年
コモドールからは低価格路線としてコモドール64を発売する。コモドールからはマックスマシーンなんてのもあった。付属のBASICにはユーザーエリアが512バイトしかないのだ。MAX BASICという別売りのカセットを買うと2048バイトも使えちゃうって言うんだから驚きだ。(メモリ容量の少なさにね) 日本語BASIC搭載のぴゅう太もこの年か。

ソードは国産ビジネスマシンを出していて、ホビーではM5というスプライトがバリバリ使えるマシンを出していた。ゲーム作りにはかなり高機能なスプライトを持ったBASIC(別売りのG-BASICだとユーザーメモリが増える)を搭載していたのに、結局ソードはビジネスマシンのほうで失敗したため倒産し、事業はタカラが受け継ぐことになる。SHARPからは、このあとMZ-80シリーズの後継機としてMZ-1200が出て、そしてそこから半年後にMZ-700が発売される。MZ-700はグラフィックがショボかったので(本当は、80*50のグラフィックはそれぞれ色アトリビュートを個別に持っているので結構すごいことが出来るのだが)当時はあまり見向きもされず、キーボードやオプション品に互換性のあるMZ-1500が持てはやされた。


同、7月には「ラジオの製作」の付録だったマイコンBASICマガジンが、独立して月刊誌として発売されることになる。


ゼビウスペンゴ・Mr.Do・バーニンラバー・タイムパイロットもこの年だ。


長くなってきたので続きは明日。