同じ時間を何度もやり直す


昔のゲームはほとんどがパターンゲームだった。敵の出現パターンが毎回同じ。マップが毎回同じ。プレイヤーが全く同じ動きをすれば敵が全く同じように出現するので、毎回同じように倒すことが出来た。


アーケードゲーム史のなかでそれを最初に大きく覆したのが、『サイバリオン』(1988年/タイトー)だった。


このゲームのマップやシナリオは毎回ランダムである。当時、パターン化ゲームからの脱却とも言われた。このゲームをデザインしたのは、『バブルボブル』や『レインボーアイランド』の産みの親であるMTJさん(三辻富貴郎さん)だった。


三辻さんがこの『サイバリオン』の企画意図を、当時「ベーマガ」(マイコンBASICマガジン/電波新聞社)の連載記事のなかでこう語られていた。


従来のゲームのように敵の出現パターンなどを覚えてゲームをクリアして欲しいのではなく、プレイヤーがゲーム上のスキルを身につけて、そのスキルを磨くことで、結果としてゲームをクリアして欲しい。(うろ覚えなので多少違うかも知れない)


確かに従来型のゲームは暗記による部分が大きなウエイトを締めており、プレイヤーはプレイヤースキルの向上を果たさず敵の出現パターンやマップを覚えることによりゲームをクリアしていることは多々あった。三辻さんは、それとは違うゲームの楽しさをわかって欲しかったんじゃないかと思う。


だだ、正直に言わせてもらって、『サイバリオン』は私にとって面白いゲームでは決してなかった。コントローラーがトラックボールだったこともあるが、私はなかなか上達しなかった。1回前のプレイでは3面まで進めたのに、次にゲームをスタートすると1面のボスで終了だとか、とてもストレスのたまるゲームだった。結局、私は数回クリア出来たところでやめてしまった。


このゲームが本当に面白いと思っているのかどうか、いま三辻さんはこのゲームのことをどう考えておられるのか、私は三辻さんに会ったときに突っ込んで聞いてやろうと思っていたのに、ついぞお会いする機会に恵まれないまま、三辻さんは2008年の年末に亡くなられたことは記憶に新しい。*1


三辻さんは東京の八王子でゲームスクールを開校されていたので、(当時、東京の府中市で暮らしていた私は)「八王子ならいつでも会えますねぇ」とかメールでやりとりしてたことがあるけど、あのときに無理にでもお会いしておけばよかった。


おかげで、「サイバリオンは面白いのか?」という宿題が私に残ってしまった。これは私には少々荷が重い。


一般的に言って『サイバリオン』のようなスキル訓練型のゲームはとてもゲーム難度が高い。シューティングゲームにしても敵の出現パターンを覚えるだけでいいなら単なる暗記をすればいいだけだが、敵の撃つ弾がもの凄い数になって、弾幕のなかでその弾をも避(よ)けろという話だとしたら弾避けのスキル自体も磨かないとどうしようもない。それには人間にとって、暗記とは比べ物にならないほど長い時間がかかる。そして長い時間かけてもそれを習得できるとも限らない。どれだけ頑張っても大多数の人が100メートルを10秒で走れないのに似ている。


つまり、『サイバリオン』に激しい苛立ちとストレスを感じていたのは、まずそこなんだ。私はプレイ後の達成感・爽快感が手短に欲しかったんだ。そのためには、時間のかかるようなスキル訓練型ではなく、パターン化されたゲームでなければならなかった。


しかし、スキル訓練型のゲームは全般的につまらないかと言うとそうでもない。例えば、音ゲー全般はスキル訓練型に分類されるだろう。(譜面を完全に覚えて対処する音ゲーのほうが稀なので)


音ゲーでは、鍵盤の数をピアノの88鍵から大幅に減らし(例えば、ビーマニなら5鍵とか7鍵、DDRなら4パネルetc…)スキルがなるべく早く上達するように工夫して、早い段階で爽快感が得られるようにした。ここに、音ゲー成功の秘密があるんじゃないかと思う。


音ゲーのことはさておき、そう考えていると私はパターンゲームで達成感が得られる仕組みが見えてきた。


つまり、パターンゲームにおいては、プレイヤーは同じ時間を何度もやり直しているんだ。


自分の記憶だけがリセットされる*2のとはちょうど真逆のパターンだ。まわりの記憶だけがリセットされ、自分は過去の同じ時間をやり直す。


これはSF小説で言えば『航時軍団』(ジャック・ウィリアムスン著/1938年)を嚆矢とする。


コミックで言えば、例えば、『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦著)の45巻〜47巻で吉良吉影の能力により川尻早人が同じ時間を何度もやり直すシーンだとか。


アニメで言えば、『ひぐらしのなく頃に』もそうだし、『魔法少女まどか☆マギカ』の10話で暁美ほむらが時間を逆行するシーンもそうだ。


どんな複雑なゲーム木ですら、探索し続ければ、いずれは解に到達できることが原理的に保証されているのと同じく、これらの作品に共通することは、何度も過去の自分をやり直せるなら、我々は一見到達不可能にも思えるような難問であっても、その解に辿りつくことが出来るということだ。*3 もちろん、解が存在することが前提条件だが。


パターンゲームの原初的な快楽は実は、このように過去に戻って同じ時間をやりなおし、過去の自分の体験を追体験するというところにあるのではなかろうか。プレイヤーは以前と同じ情景を観ることになるが、しかし、以前とは違う一歩を踏み出すことが出来る。そうして過去の自分と決別する。繰り返されるデジャヴとデジャヴからの離脱。プレイヤーは学習することによって前回のプレイとは違う行動を選び、世界の有り様が変化していくのをその場で体験できるのだ。

*1: MTJさん、逝去される http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20090116

*2:「24時間でリセットされる記憶」 http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20110201

*3:魔法少女まどか☆マギカ』に関しては、現時点ではまだ最終話が放映されていないが、暁美ほむらは最終話できっと解に辿りつける。何度も時間軸を遡れるというのは、そのことを保証する。